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【No.1413】『ふしぎなナイフ』のセンス・オブ・ワンダー




「センス・オブ・ワンダー」のお手本みたいな絵本。

絵本はこういうものであるべきという議論がいろいろなところでされる。
「絵はこうで……」「テクストはこうで……」と私もつい、いろいろ語りたくなってはしまうが、
含まれていてほしい要素を一言で表すならば
――センス・オブ・ワンダー

題名で「ふしぎな」と明かされているのだから、期待とともに表紙を開く。
その構えがあるというのに、期待の一段上、五段上、百段上を行く展開だ。
ひたすらに感嘆させられる。

ナイフが「まがる」「ねじれる」「とける」「ほどける」といった具合に、
一画面ごと目の前に表れるイラストに意外性あり。そして、しばらく見つめていれば説得されてしまう。
そんな表現って、なかなかない。
世界に誇れる絵本の一冊ではないだろうか。

テーマ : 絵本
ジャンル : 本・雑誌

【No.1412】グラフィックセンスあふれる絵本『どんぐり』




ネット上だから、開いて見せてあげられないのが何とも残念。
表紙を開いてすぐの見返しから何ともまあ、鮮烈な絵本。
黒い草っぱらのシルエットの中に、小さく黄色のどんぐりが見えている。

このどんぐりが主人公で、ころがっているところに白ねずみがやってきては去り、オレンジりすがやってきては去り、青どりがやってきては去り、灰色うさぎがやってきては去っていく。
みんなどんぐりを食べたがるわけだけれど、どんぐりは自分を食べないように頼むのだ。
「いまに もっと おいしくなるから」と言葉を添えながら……。

どんぐりは種子だから芽を出し、根を張り、大きく成長する。
立派なかしの木になる。

その立派さを表現する画面が素敵な「しかけ」になっているのだ。
その画面をめくって見せたいけれど、ここは野暮なネットの上なのだ。

そこだけでなく、結びの画面も気が利いているし、おまけに後ろ見返しも美しいグラフィックのシルエットなのだけれど、
申し訳ないことに、ここはネットの上なもので……。

テーマ : 絵本
ジャンル : 本・雑誌

【No.1409】『くんちゃんはおおいそがし』が教えてくれる「遊び」の意義




ひと雨ごとに秋が深まっていく季節。
少し早いけれど、大好きな「くんちゃん」絵本シリーズの落ち葉かきの表紙を思い出す。
『くんちゃんはおおいそがし』だ。

くんちゃんの絵本を読んでいると、「子どもってこういうものだよねえ」
「子どもの遊びってこういうものだよねえ」と思う。
そして、「子育ってこういうものだよねえ」とも。
「子どもらしさ」と信じたいものがそこにはあり、子育て時代の理想としたいものも
そこにはある。
現実を見回せば、暗澹たる現代社会にため息がよく漏れる。

朝、起き出して何もすることがないくんちゃんは、「なにをしたらいい?」と
お母さんぐまやお父さんぐまに訊く。
親に言われたいくつかを試してみて、ひと通り終わると、また「なにをしたらいい?」
とたずねる。
外遊びをすすめられたくんちゃんは、大人の注視のないところで、いろいろな遊びを思いつく。
この「注視のないところ」というのが大切。
「何やってた?」「どこにいた?」と、監視され過ぎの子も多いだろうから。
監視がないと危険も少なくない世の中だから。

おもちゃはないけど、松かさをけったり、木切れを小川に浮かべたり、川底の小石を
集め始めたり……。
系統的でなく、次から次へ目につくものと、くんちゃんは関わりを持つ。
子どもが自分の生きる世界がどうなっているのかを少しずつ把握していく様子が描かれる。
ゆったりとした時間の流れのなかで誰と競争するでもなく、自分なりのペースで
外界を自分のなかに取り込み、発達していく。「遊び」を通して……。
「遊び」に切りがないことを発見したとき、くんちゃんは自分が「おおいそがし」で
あることを知る。
そういう「育ちのとき」がどの子にも保障されることを願わずにはいられない。

テーマ : 絵本
ジャンル : 本・雑誌

【No.1408】ペリカンと結ぶ友情『ターちゃんとペリカン』




絵本作家ドン・フリーマンと言えば、クリスマス・シーズンによく書店に並べられる
『くまのコールテンくん』でしょ。
『ダンデライオン』も『しずかに!ここはどうぶつのとしょかんです』なども、楽しい作品。
こちらの公式サイトも素敵。

この『ターちゃんとペリカン』は1961年の作。古き良きアメリカ絵本の匂いがする。
どういうところが?
たとえば色合い。
たとえば大自然の中でのびのび遊ぶ子ども。
たとえばゆかいな事件が起こって、それがうまいこと解決して安心するという展開。

ペリカンというのは強烈な印象の鳥。
動物園でも人気でしょう、あの大きくて不思議なくちばしゆえ。
動物園に行ったら、子どもにぜひとも見せてあげたい動物の一つ。
……私がもう一度、若い母親であれたならば。

毎夏、家族とキャンプに訪れる海辺で待っている、友だちのようなペリカン。
ことしは魚つりに初めてトライするターちゃんに、ペリカンが鮮やかな魚とりの様子を見せてくれるけれど、
見せてくれたあとに飛んでいってしまう。
ペリカンが帰ってこないか待っているうち、潮が満ち、ながぐつが流され、
ターちゃんは魚ではなく、ながぐつを釣り上げなければならないことになる。
それで一つは釣り上げられるものの、かたっぽはどこかへ行ってしまう。

潮が引き、夕暮れがせまってきたものだから困っていると、ペリカンが目の前に現れる。
「いたいた」っていう、うれしさもあるけれど、ペリカンの大きなくちばしの中には、
さらにうれしいものがかくされている。
そして、そこでハッピーエンドというシンプルな筋なのではなく、ふたりの友情が
より一層しっかりしたものになるエピソードで結ばれる。

テーマ : 絵本
ジャンル : 本・雑誌

【No.1407】『うみべのいす』にすわっていたい




海辺にいすが置いてあるなら、山下明生『はまべのいす』という素敵なお話もあった。
小学校国語の教科書にも取り上げられている。

こちら絵本『うみべのいす』は新進画家nakabanさんの個性的な点描画が、内田麟太郎さんの呼びかける
ファタジック・チラリズムを「てんてん、てんてん、てんてん……」と存分に拡げて応じたかっこうの一作
(言わんとすること、分かってもらえないかな、これじゃあ……)。

内田さんのテクストは、どことなく長新太のテクストみたいな味わいになってきた。
「すわっているのは だれかしら。」という繰りかえしの言葉、
「~かしら」が長さんらしい言いまわしなので、余計そんな気にさせられる。
もしかすると「長さんのことを覚えておこうよ」って意識的に使っているのかもしれないね。

海は夏に入るものだけど、登場する人物たちは長袖着用。
だから、春や秋に紹介していい気がする。
順番に出てくるネコ、クマ、男の子、見えない人、母娘……みんな海に向けられた椅子にすわって、
つまり私たちには背を向けて海を眺めている。
眺める先である沖にも、いろいろなものが順番に登場する。
ほぼそれだけの展開。

時間は朝から夜、そして翌朝まで流れていって、それだけの展開でいいから、
このいすにすわり、朝焼けか夕焼けか、かたっぽだけでいいから眺めていたいなと思う。

テーマ : 絵本
ジャンル : 本・雑誌

プロフィール

中村びわ

Author:中村びわ
2004年から2011年まで書いてきた
「本のシャワーにさらす肌」
http://biwa.blogtribe.org/を、
こちらに引き継ぎます。

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