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【No.1096】デルフトが見せた色(2)…10月31日

フェルメール展は入場者数50万人を突破したそうで……。
4年前も同じ都美術館で「栄光のオランダ・フランドル絵画展」があり、今回、作品保護のため出品不可となった「絵画芸術」を見せてもらった。
出品不可は「ケガの功名」に結びつき、アイルランドに1点だけあるフェルメール作品「手紙を書く婦人と召使い」という絶品が代わりに招聘された。「日本に7点が集結、しかもうち4点が初公開」という看板にうそ偽りはなく、面目を保つこととなったようだ。会場で求めた図録には「手紙を書く婦人と召使い」が掲載されていないが、ダブリンまで行かないと見れない作品は、おそらく一生見る機会がなかったのではないかと思えるので、その点には大いなる満足がある。
ドレスの袖を少し引っ張り上げたような様子で一心不乱に手紙を書く女性像は、深く感情移入できるものであった。私にとっては、今も昔も手紙を書くということは日常的であり、大切な行為の1つである(言い訳しておくと、誓って言いますが愛人はいないですよ、少なくとも今は(笑))。

この絵に代表されるように、フェルメール作品の多くは、薄暗い部屋のなかにいる女性に、窓から差してきた日が当たり、そこに色が浮かび上がっているというものだ。それを考えると、【No.1094】に貼った都美術館入り口に大きく掲示された展覧会ポスターになっている「小路」という題の作品、デルフトの家並みが確認できるそれは、今回の展示で大きな意義がある。
残されているフェルメール作品のうち、「外」が描かれているものは極端に少ない。
「デルフトの眺望」というロングに引かれた風景画が1点、そしてデルフトの街並みが分かる「小路」、あとはデルフトは関係なさそうな「ディアナとニンフたち」ぐらいだ。
こういった「外」が広がっていて、そして、その中で、フェルメールが好んで描いた「内」が小さな宇宙を形作っていたのである。

室内にいる人たち、それも多くは女性たちの作品が現存する30数点で多いから、そのイメージでフェルメールを捉えてしまうとき、彼が描いた近世ヨーロッパ社会の女性のあり方が、近世日本の女性のあり方に通ずるところ大で、それが1つフェルメールに女性ファンが多い理由ではないかと思える。

死語になりつつあるが、「家内」という言い方がある。
説明するまでもなかろうが、「女は家を守る存在」というところから出てきた言葉であろう。
フェルメール描くところの女性たちは、家内でレースを編んでいたり、ヴァージナルという鍵盤楽器やギターの稽古をしたり、談笑していたり、牛乳や水の入ったピッチャーを持っていたりする。

今どきの「家内」は別に家人にいちいち断るまでもなく仕事に出たり、美術館や映画に出かけたり、女友だちだけどころか男友だちとも話をしに行ったり食事をしに行ったりするわけであるが、昔の女性たちの生活圏は狭かった。
ふっと思い出したのが、宮尾登美子の芸道小説で読んだことのある『一絃の琴』『伽羅の香』『序の舞』『松風の家』といった作品群である。『伽羅の香』は香道、『序の舞』は日本画の上村松園、『松風の家』は茶道の宗家を扱ったものだ。いずれも日本の伝統的芸事の世界がどういうものかがよく分かる読みごたえのある重厚で興奮に満ちた小説である。いっぱしの大人として日本の芸道というものを教養として知っておきたいという向きには読んでおくといい本である(とりわけ『松風の家』)。
このいずれも、「家」を中心とした世界で暮らす女性たちが書かれている。空間としての「家」ではなく、あくまで「家世界」――「家元」というときの「家」という概念であり、1つの和を成す社会単位である。
<この項つづく>
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中村びわ

Author:中村びわ
2004年から2011年まで書いてきた
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