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【No.1083】心に荒野をさ迷わせて(2)…10月6日

なぜ募金活動のような社会的活動に関わろうとするのか。
それは1つには、喜びが限られている自分の生活に喜びを加えたいからだ。少しでも自分が関わっていれば、これから良い結果が出るたびに「嬉しい」と思える。
例えば、この募金活動には目標額が設定されている。それに到達したことを知れば嬉しいだろう。そして、この天晴くんという男の子が、生きたいと願う力で大変な手術に臨む。彼は必ず、その願う力でもって闘い抜くであろうから、手術の成功を知れば嬉しい。そして、体力を回復して退院すれば、それもまた嬉しいし、帰国報告を聞ければ嬉しい。元の生活に復帰したとなればさらに嬉しい。
「自分の生活のささやかな部分にほとんど喜びを見つけられない」と言うほど私は無能ではないつもりだが、日常生活のなかで、喜びというものはそうそう多いものではない。むしろ困りごとや不安ごとに振り回されている時間の方が多いかもしれない。だが、こういう機会に加わり、不謹慎ではあるが便乗させてもらえれば、明らかに喜びの機会は増える。

それは、月々5000円の援助金をプラン・ジャパンに出すことも同じで、成長した子どもの写真とレポートが遠い国から届くことも嬉しいし、長い年月のあと、子どもたちへの援助という形で発展途上国の一地域に投下された資金が、地域の公共設備を整えたり暮らしの向上につながったりしたという結果を聞けることも嬉しい。
被災地への募金もそうで、復興のニュースに触れれば嬉しい。
また、医療機関でのボランティアも、ときどき望外の嬉しい報告を聞けたり、嬉しい状況に出くわせたりすることがある。
喜びを得ることを当てにして力を注ぐというのもみっともない話であり、ボランティアや篤志の本来的あり方に反する。そして、それらは必ずしも喜びにだけつながれるものではないこともあるが、総じて精神的充足は多い。「自己満足」というエゴは批判されても言い返せないが、少なくとも自分にとっては、時間やお金をそういうものに割くことが自分の存在に意義・価値を付加してくれる気がするのである。一日、一晩思い切り遊び、遊んだあとに一抹の寂しさを感じるよりも、静かに喜びにひたされていく方が自分には良いことが多いのだ。

いま1つ、気取って言えば、様々な社会的活動こそは、閉塞的な社会の状況を何とかしていく可能性だと感じられるのだ。
前にも、日本代表を応援するのに集まったサッカースタジアム満員の観客を、社会的な働きかけに転化していけば、まだまだ日本は行けるとか何とか、書いた記憶がある。
自由競争社会への転換で、日本の社会は、捨ててはいけなかったセーフティネットまで放棄したかのように感じられる。具体的に言えばワーキングプアの生活困難であり、手厚くどころか厳しさを増していく高齢者福祉、障害者福祉ほか社会的弱者への援助の削減などである。
これらは「自由競争になったから、個人責任になった」というように語られる。そこで私たち個人は、「個人責任だから家族単位で何とかしなくちゃ」と思い、他人構わず自分たちだけ安泰であろうと考えがちになる。しかし、個人責任というのは民間責任ということであって、エゴで何とかしろという話ではないのではないか。

今回の募金でホームページを見ていて感じたのだが、何かを感じた人が「点」となり「線」となって、明らかに全国規模でネットを形成している。「これはすごい」と思った。まさに「共済」である。
1000万を越す大口の寄付があったということで、それが何なのか確認していたら、前に同様の募金活動を行った団体が、余剰金で今も活動をしているのである。海外での移植手術を必要としている子どもたちへ、募金目標金額の10分の1を目安に寄付の判断をしているというのである。多くの人びとが出した浄財が、賢明な発起人たちの機転で、1つのセーフティネットから別のセーフティネットへとかぶさっているのだ。これにも言いようのない感激を覚えた。

偉そうなことは言えないのだが、行政が当てにできないとしたら、「行政が何もやってくれない」と文句を垂れているだけでなく、心ある人たちが有機的に結びつき、「助け助けられる」を繰り返して行くしかないのだと思う。地元というコミュニティだけでは限界があるので、エリアを越えたコミュニティを複数機能させていく必要がある、各人が自分の周りで……。ただし、これには資金と人的貢献が必要であることは確かで、それを「助け助けられる」のバランスで釣り合わせて行くことは大変に難しい。

というわけで、自分が信頼を置いている医療機関のボランティアグループ、息子がお世話になったサッカークラブ、読みきかせ仲間などを中心として、少しばかりネットを張ってみた。チラシを置いたり、渡したりというささいなことなのだけれども……。
結構勇気のいる行為なのだが、こういう話に嫌な顔をする人はほとんどいない。嫌なニュースや不安なニュースばかりがあふれている世の中だけれども、少し動いただけで意気に感じる人たちを確認でき、それがまた嬉しかった。
<この項つづく>
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中村びわ

Author:中村びわ
2004年から2011年まで書いてきた
「本のシャワーにさらす肌」
http://biwa.blogtribe.org/を、
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