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【No.1077】源氏物語というDVのつづき…9月25日

そもそも光源氏という人は、父親である帝の四宮を好きになってしまってどうにかなってしまうという不届き者であり、その思いが人前では祝福されないものだから、あっちのお花、こっちのお花へと飛んで蜜を吸い、満たされない思いを慰めるわけですね。

それで、父の女性どころか今度は新たに帝になったお兄さんの女性とも関係を持つ。これは、お兄さんのところへ「朧月夜(おぼろづきよ)ちゃん」という彼女が参内することが決まる前からあった関係だけれど、彼女が御殿に入っても、ちゃっかり関係を保っていて、それで都には居づらくなる。
「自分で蒔いた種だろ。自業自得!」といじめたくなる事態だけれども、それで光源氏は須磨というさびしい土地へ隠遁することにするから、まあ、よしとする。

ところが、ここからがさらにひどい。
地元の名士が都の貴人のうわさを聞きつけ、娘を何とかお眼鏡にかなうようにしたいと思い、提供してくるわけだ。断ればいいものを、ちゃっかり受け入れる。受け入れただけでなく、子どもまでもうけてしまうわけですよ。
ああ、それなのに、「ほとぼりは冷めたかなあ」と都に戻って行く。都に戻ると、かわいい愛娘のことが気になりだして、お受験パパみたいに娘の進路行く末を気遣い始める。
「田舎の教育じゃ、垢抜けない娘になってしまうんじゃないか」と考え、都会的な教養と作法を身につけた女性に面倒を見させないといけないと強く思い込む。
それで、子を持てない自分の女房に、世話係を申しつける。女房は紫の上で、そもそも彼女は、初恋の女性である父の愛妃の身代わりみたいなものなのよ。

娘を都に取られてしまう明石の立場も、娘を押し付けられる紫の上の立場もたまったもんじゃあない。これ、ダブルDVだとも言えますね。
それでも、光源氏はよっぽどいい男なのか、それとも女たちがよっぽどお目出度いのか、みんな「あの人のためならば!」と身を捧げて自分にできることを行う。けっ(あらま、失礼)!
さらに言うなら、娘を引き取って教育するのは、将来、娘を入内させて、帝の父親として安泰になりたいからでしょうが……。

これ、やはり、すごぉいっ。すごいですね。
どんだけジコチュー?

本を確認しながら書いていないので、だいだいの筋で細部が違っていたら申し訳ないけれども、フェミニストや人権問題の専門家ならば目もくれない物語ですね。俺もあやかりたいと、読んでそう思った人もいるかもしれない。

こうした切り口で源氏を語るとき、1つの企画が浮かぶ。
PTAのおばちゃん言葉で、女たちが光源氏の悪口ばかり、私のように喋り連ねる裏物語を作ると面白かろう、と。
室井佑月さんだとゲタゲタした感じになるかもしれないので、岩井志麻子さんあたりに怨念を込めて書いてもらうといいかもしれない。アイデア一式ン十万で売りますよ~。でも、5万部売れたら、印税1パーセントにしてね~。定価は2200円ぐらいの本だとい~な~。
テレビドラマでもいいな。竹下登氏の孫のダイゴくんとかいう子はどうでしょうか、コメディ光源氏キャラに……。父帝は明石家さんまというところでしょうか。

リチャード・パワーズの力作『われらが歌う時』は、「パワーズが言葉芸術でもって音楽に対抗しようとした小説ではないか」と仮説を立ててみた。根っこに音楽に対するジェラシーがあると感じたので……。
小説って、こういうように無茶苦茶とも思える突飛な発想で読み込めるとき、とても面白い娯楽だと思う。
源氏の愛好家、研究者の皆さま、どうぞ赦してくださいましね。
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中村びわ

Author:中村びわ
2004年から2011年まで書いてきた
「本のシャワーにさらす肌」
http://biwa.blogtribe.org/を、
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