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【No.1066】「身の回り」と「大きいような世界」…8月29日

雨がやんでいる隙に郵便物を投函しに行ったら、家の前の道のアスファルトの切れ目に雑草が生えているのが目についた。気づいたことは「あとで」と横着がらず(横着がると老けてくるので)、なるべく早くに片付けてしまおうということで、カマ状の道具でカリカリと、隣の塀のあたりまで草刈りしていた。ほんの数分だけの仕事である。
ところが、そのほんの数分間にも、通りがかりの年配女性(最近、自分も人から「年配」と呼ばれないか心配。「妙齢」としておくか)に、「くだらないことお聞きしますが、これ、ブラシの木というものですか」と声かけられる。

何も着ていたTシャツの背中に「構ってちゃん」と書いてあるわけではないが、かつて日比谷プレスセンタービルから東京電力本社までのわずか3分ほどの距離を歩いていた間に、延べ3人から道を尋ねられたという惹きつけの良さでもって、犬の散歩をしている人やら、自転車でふらふらしている人などにも気軽に声をかけられてしまう。それはそれで仕方ないことだが、その木はうちの木ではなくて、よそのお宅の木なのだ~。しかし、近くに珍しい花が咲いているのに、その名を知らないというのもふがいない話である。
『海水魚』『サンゴ礁の生きもの』だけ表紙コーティング加工をしてもらって買ったシリーズの、下の2冊もやはり買っておくべきか。

鳥や虫の図鑑は、他のシリーズのものが前からある。
それでも、掲載点数が比較的充実していながらコンパクトで使い良いこのシリーズを全冊揃えるべきかどうか。それは、結構危険な選択である。『海水魚』と『サンゴ礁の生きもの』だけでも、ぼけーっと眺めていると、かなりの時間が経ってしまうからだ。図鑑が増えると、そればかり眺めているうちに人生が終わりそうだ。
とりあえずブラシの木とは、こういう木であって、正式にはカリステモンという名、和名は「金宝樹」という、植えておくと縁起や景気が良くなりそうな樹木なのであった。

私もそうだが、女の人って、気軽にものを尋ねたり、声をかけるのに物おじしない。男の人の場合は今、不審者扱いされやすいので、そうは気軽にいかないということもあろうが、このようにちょっとした人づきあいって大切だとつくづく思う。
そこここで立ち話をしているような地域では、空き巣も入りにくい。そういう治安のこともあるが、天候やら花や鳥といった自然の話、これは経済格差や社会的立場に関係なく(実際には、日々食うに困れば、花の話などしていられないが)他者と交わしやすい話題である。日本的な季節感、自然感を確かめ合って互いの情感を錆びつかせないように働くし、外国人相手なら、日本人はそういう社交をするものだと示せば良い。どうでも良いような話題だが、機械の油を注すようにして社会に効かしていくことが可能だ。

ばたばたしているので、なかなかそういう余裕は正直ないのだが、きょうのようにチャンスが到来したときは、楽しんでおいた方が良い。ましてやリタイアして余裕がある人、子育てで忙しくしてはいるけれども専業主婦で少しは自由時間がある人、比較的気楽に過ごしている学生や単身者など、これはもう、せっせと油を注していただかないとコミュニティがギーギーと嫌な音を立て始める。
その意味でも、子どもが外遊びでギャーギャー声を立てて遊んでいて、それに遭遇した暇のある大人たちが、「暗くなったから帰れ」「そこの植え込みに入り込むんじゃない」「水まきの邪魔だねえ」「暑いから、帽子をかぶって遊べ」(意識的に自然と関わるお節介を並べてみた)という具合に関わっていた三丁目の夕日的世界は、少しずつ取り戻せた方が良い。

こういう気づきで、「身の回り」世界の維持の大切さを少し考えてみる。その前に現代社会的、かつ私的な家族の問題も気になるところではあるのだが、家族の問題というのは今のように明確にテーマ化されなくても(「孤食」やら「家庭内暴力」「コミュニケーション不全」など)昔からそれなりにあって、それでも何とかやっていけていたように感じられるのは、上記のようなコミュニティの関わりが一種のセーフティネットのように働いていたからなのかもしれないとも思う。
近所の世話好きが問題ある家族に一言声をかけてあげたり、困ったことを抱えた子どもが心を休める場所が近くにあったりという状況は、思い出すといくつかある。しかし、そのような回想の昭和的状況は、子どもも大人もこなすべきことが増えて忙しくなった今の世のなかで、今さら築き上げ難いものである。
濃く、深く、連続的には関わっていけなくても、一瞬の関わりのなかで与えられる印象深さ、さわやかさを、粋な旅人のように集中して与えられるようにすることが必要だ。

今、人種が大きなモチーフになっている大巻小説を読んでいる途中である。
ロシアに出張するという、学生時代からの仲間でどうもバリバリらしいビジネスマン(世間的には投資顧問とでもいったところか)からメールが来て、オセチアとグルジアをめぐるロシアと米国の構図、大統領選を控えた米国権力と日本社会の構図を少し考えさせられていたところだが、日本にいるとほとんど理解し得ない人種に関わる読み物を読むのは有意義。

人種と宗教に対応するように世界の領土や富、資源(呼吸する空気も含め)をうまく分配できれば、『スカイ・クロラ』のように恒久的平和が実現された世界も可能だろう。したがって結局、「恒久的平和は実現され得ない」現実が認識されるわけだが、そういうなかでどう生活していくかを考えるのに、本やら人が書いたものを読むってやはり大切ですよね。
ちなみに、メールの返信には、岩本先生の「カムチャツカの雪」と北海道大学スラブ研究センターのリンクを貼らせてもらった。岩本先生のグルジア問題に関する記事はこちらこちら。「カムチャツカの雪」経由で知った、スラブ研究センターの2人の先生によるエッセイはこちらこちら

身の回りのささやかな幸せを大切にばかりしていたって、「マスコミの米国寄りの報道に問題ある」「米国寄りの報道をするのは、現地のことについてのマスコミの調査不足なのか、怠慢なのか無知なのか。あるいは、日本政府の意向を受けているのか」といった発想ができなかったり、何で民族問題が世界平和を阻むのかということが分からなかったりするもの。
ミクロ的な日常的視野とマクロ的な社会的視野がないと、ね。そして本来、これは義務教育期間が無理でも、高校を卒業するまでには身につけられるよう教育で獲得するようにしておくべきものだ。大学合格者の実績を出すのが教育の目的なのではなく……。
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中村びわ

Author:中村びわ
2004年から2011年まで書いてきた
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http://biwa.blogtribe.org/を、
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