スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【No.1024】陶酔の泳法(5)…6月3日

体で覚えた「技」というものは、なかなか忘れない。

幼稚園の頃(幼稚園、4つも行った。世田谷で1ヶ月、四国の高松の仏教系で通園拒否をしてミッション系に移り、卒園は岩手は盛岡の白百合)はハサミを使うのに苦労したが、今は久しぶりに持っても思い通りに切れる。
自転車に乗れる人はブランクが何年かあっても、乗れなくなることはない。スキーも数年前久しぶりにやってみたとき、まるでダメかと思えたけれども、それなりに滑ることができた。
それから……、エッチなことにも触れておこうかとも思うけれども、品良く止めておきますわ。

そして、のし泳ぎ――
これがどういう泳ぎか説明してみる。頭の右側を水につける。だから左斜め上の空を見上げることになる。
右手は進行方向へ伸ばし、差し出すように伸ばしたその手を戻す。伸ばして戻して、伸ばして戻してを繰り返す。左手は、ひじを曲げながら水をかいては元に戻し、かいては戻しを繰り返す。手の動きに関して言えば、平泳ぎで左右の手同時に行うことを、役割を分けて行うというような感じになると言えよう。足は、正式なのはどうなのか知らないけれども、私は所謂カエルキックをしている。平泳ぎと同じ。
この泳ぎ方をしていると、顔を水につける必要がない。そして、顔をつける平泳ぎのように、首や背骨がこってくるようなこともない。
一番かんじんな特徴は、これが競技用に早く泳ぐための泳ぎではないので、ゆっくり、ゆっくり優雅に水を切って行けばいいということである。

私が泳ぎを覚えた小学生のころ、つまり昭和40年代は、水泳をするときにゴーグルをつけるなどということはしなかった。そういうものは、ごくひと握りのおしゃれな大人、当時珍しい渡航の経験があるような人が持っていただけではなかったかと思う。それから、競技に携わっている人。まだ、一般的ものとして普及していなかった。
だから、塩素の匂いが強烈なプールでも、眼に何の保護もなく、水中で眼を開けて泳いでいた。しかし、さすがに海となると、眼を長く開けつづけることは困難である。
そこで、のし泳ぎや立ち泳ぎに代表される「顔を水につけない泳ぎ」が重宝なのである。

プールや海で疲れてくると、私はこの泳ぎをする。本当は、この泳ぎ方でずっと泳いでいたいのであるが、人に「何よ、その泳ぎ方」という目で見られると少しバツが悪いので、公衆の目がある場所では、なるべくノーマルに泳ぐようにしているわけだ。
しかし、のし泳ぎに切り替えた途端、「ああ、やはり、この泳ぎは最高だ」と嬉しくなり、水面に上げた顔が緩むのを感じる。「うーん、気持ちいい」と、ついにこにこ、いや、にやにやしてしまうのである。
これがプールで高いところに座っている監視員に見られ、偶然目が合ってしまうと、「何だ、コイツ」という表情に変わるこもある。

のし泳ぎは、顔をぬらさずに済み、四肢に負担がないということで、水になじむ泳ぎ方、特に海になじむ泳ぎ方である。もっと言えば、水に抵抗することなく、水と一体化することのできる泳ぎ方なのである。私は、この「技」を夏休みの敦賀の浜辺で教わった。もう35年もの昔……。
<この項つづく>
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

中村びわ

Author:中村びわ
2004年から2011年まで書いてきた
「本のシャワーにさらす肌」
http://biwa.blogtribe.org/を、
こちらに引き継ぎます。

最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
最近のコメント
最近のトラックバック
RSSフィード
ブログ内検索
リンク
QRコード
QRコード
FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。