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【No.1046】優しさのかけら…6月29日

ノーベル文学賞を獲ってもおかしくないと言われているカナダの作家マーガレット・アトウッドの『またの名をグレイス』上巻(岩波書店)をまもなく読み終わるところ。
1843年にカナダで実際に起きた殺人事件の犯人として30年服役したグレイス・マークスの内面や、彼女を取り巻く人物たちの言動を再現してみようという小説である。

世間的には「妖婦だ」「精神異常者だ」とされている彼女の心情吐露や語りと、彼女を研究対象にしている精神科医の内面が、この上巻の後半になって対照的なものとして描かれている。
つまり、「どちらが正常なの?」と次第に違いが分からなくなってくるパターン――まるでヘルツォーク監督が撮った「カスパー・ハウザーの謎」のラスト・シーンのように、社会的地位がある人が内面では病んでいて、実は異常者なのだというパターン……何か、これは現代日本では、よく見られることなのかもしれないと思いつつ、そのパターンが貫徹されるのか、それとも、アトウッドのことゆえ、一転、二転の引っくり返しがあるのかどうかが楽しみ。

アトウッドはときどき、毒のある表現を入れるので、そこが魔女的とでも言うべきか、ひとつの魅力だと思う。毒のない作家など、作家じゃないとも思うけどね。

――優しさはたやすく手に入るものではないので、この世ではかけらでも貰える時は貰ったほうがいいのです。(佐藤アヤ子・訳/P179)

「優しさのかけら」という見出しで、この記事を読み始めた皆さんが期待したのとはまるで違う、冷徹な表現ではなかろうか。
そして、この言葉から数行あとに、こういうことも書かれている。

――たとえ私の方が黙っていたとしても、情けないことですが、両方で罵り合いになるにきまっていました。自分より強いものに対してあからさまに罵り返すのは、間に塀がない場合はつねに間違いです。(P179)

「女流」などという言い方をすると、このフェミニズム作家の逆鱗に触れそうであるが、こういう表現こそ、女の空恐ろしさ、頭の良い女性の怖さではないかと私には思えるのですよ。
多くの女性は、ここに書かれたようなことを本能的に悟って行動する。しかし、作家たる彼女は、そうした無意識的な部分を言葉にしてしまう。勇気がいる取り組みだと思える。

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中村びわ

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2004年から2011年まで書いてきた
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