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【No.1379】「自発」「無意識」「自然」下手


家から一番近い小さな書店で、きのう短篇小説集一冊と雑誌「MOE2月号」を買った。
「MOE」はここ数年、「絵本屋さん大賞」が掲載される2月号が、前年に出て評判の絵本をチェックするのに便利なので買っている。あとは気になる特集がある月に……。
このランキングは、全国の絵本専門店や書店の児童書売場で、日々たくさんの新刊絵本をさわっている人たち1200人へのアンケートで上がってくるものなので、絵本を論ずる人たちとはまた違った観点や思いがあり、見ていて楽しい。

去年入っていたショーン・タンは今年はランク・インしていないのか、「あれ、岩波のあれはどうした?」とか、自分の持っている限られた情報とも突き合わせてみる。

第1位『あさになったのでまどをあけますよ』荒井良二(偕成社)
第2位『どこいったん』ジョン・クラッセン(クレヨンハウス)
第3位『いるの いないの』京極夏彦・作/町田尚子・絵/東雅夫・編(岩崎書店)

3位などは、「幽」や怪奇幻想好きには、「おおお~」という結果ではなかろうか。普通、一般書の作家が絵本を手がけるとメッセージ性が強くなり過ぎたり、ネーム量が多過ぎ、絵を挿し絵化してしまったりするけれど、『いるの いないの』は、文と絵の見事な止揚!

2位のクラッセンはカナダ生まれ、ロス在住の作家で、立て続けに3冊が翻訳された。
『どこいったん』『ちがうねん』は人気絵本作家・長谷川義史氏(私もよく読み聞かせで氏の作品を利用)が訳を手がけ、大阪弁で独特の味を加えた。大阪弁の翻訳絵本なら、『ぼちぼちいこか』という定番があるけれど、『どこいったん』もユーモア絵本の新しい定番となっていくこと、うけあい。
それといっしょに、なかがわちひろさんによる標準語訳『アナベルとふしぎなけいと』も、グラフィック・アートに優れた素晴らしい絵本なので残っていってほしい。実は、今のところ、3冊の中ではこの絵本が一番好きなのだ。

きょうは、午後から図書館にしばらくこもり、読み聞かせ用の絵本を探しながら、ずいぶん多くの絵本にさわる中で、大阪弁と標準語のほかに、旧訳と新訳にも目を留めた。



2011年の「絵本屋さん大賞」で第5位になったシルヴァスタイン『おおきな木』村上春樹・訳(あすなろ書房)と本田錦一郎・訳(篠崎書林)が2冊並べられていた。ある絵本通が「村上訳より前の方がずっと良い」と言っていたことを思い出し、「そうなのかな」と改めて確かめてみた。また、ある書店員さんが「まったく別のお話になっている」と言っていたことも思い出す。

私は旧訳も新訳も別々の機会に読んでいる。でも、どうもそんなに翻訳というものに敏感でなく、絵本でも小説でも、読後しばらく経ってしまえば細部どころか話の流れや登場人物すら忘れていき、ぼやんとしたイメージか、その残滓だけが頭にあるだけとなるので、今となっては本田訳も村上訳もない。「男の子が成長して老いていって、そのたびごとに木から何かもらう話。もらうのに、その恵みになかなか気づけない話」だったのだ。
並べ比べて読んでみたところ、「気づけない」主人公を、成長しても「少年」としているところに村上訳の特徴があるし、「うれしさ」を「しあわせ」とするところに、人生にとっての喜びをどう捉えるかという哲学や意図が感じられた。

そんなこんなを絵本で考えながら、「おはなし会のプログラムをどう組み立て、どう務めを果たすか」というところに集中力がいって、「本当に子どもたちに手渡したい本をどう手渡していくか」というところに真摯でない自分に思い当たり(よく突き当たる壁)、自分のような者がそういう務めをすべきでないという自己否定モードにも入っていき、書棚を変えて松岡享子氏『ことばの贈りもの』(東京子ども図書館)に救いを求める。

レクチャーブックス・シリーズの2冊だが、これは子育てをする人、子どもの本に関わる人のほか、子ども向け・大人向けを問わず物語を作る人、物語を愛する人にも刺激ある針のような言葉が埋められている。

きのう書いた『飛行士と東京の雨の森』のように、ちくり刺されてぴりりくる啓示的要素が多い。
いろいろ引用したいけれど、長い文になってしまったので、『ことばの贈りもの』からいくつ引き、絵本の森をさまよった狩人の一日を閉じることにする。さまよってはいるものの、読みや読解に自由自在さを欠く自分へのあわれみを込めて……。

悲しいことですが、組織化され、系統だてられた学校教育では、多くの知識は伝達されますが、親も子も天賦のものとして自らのうちにもっている力を自覚させたり、なかば無意識に何かをすることによって生まれる直観力を養ったりする機会はほとんどありません。
[中略]
人と人の心のあいだに橋をかけるということばの基礎工事は、親と子が、お互いに共感する快さを求めて、自発的に、無意識に何かをしているときに、自然にできていくものなのでしょうが、その自発とか、無意識とか、自然といったことが、今の私たちは下手になっているのかもしれません。

(P24-25)

人は自分でわかっていることでも、別の人からことばではっきりといってもらうことによって、それがより明確なものになる。そのことがうれしくて人の話を聞く、あるいは本を読む、ということがあるのではないかと思います。
(P43)

書き手や語り手は、自分の中にあるイメージ――考え、思い、感情など――をよりよく伝えようと、ことばを選び、表現に工夫をこらします。もちろんその上手下手がおもしろさを決めます。でも、そのおもしろさは、読み手や聞き手に受けとめられ、たのしまれるまでは、おもしろさにならないのです。読み手や聞き手は、書き手や語り手がさし出すことばを自分の力でイメージにかえます。こうしてイメージの送り手と受け手がことばを通してつながり、互いにひとつのイメージを共有することができたら、そこに共感が生まれ、コミュニケーションが成立する、つまりおもしろいと感じるということになるのだと思います。
(P11)

パディントンのママ、やっぱり鋭いっ!
はっきりといってもらって、明確になって、うれしい。
自分というローカルなものを世界につなぎ留めるのがことばであり、物語。






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中村びわ

Author:中村びわ
2004年から2011年まで書いてきた
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http://biwa.blogtribe.org/を、
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