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【No.1038】まだ先の夏…6月19日


この間、きれいなので買ってみた。
このように赤い(「私を見て」という自己主張の色)派手な花を買ったのは初めてだ。いつも、もっと楚々とした小さめの花、色も白か中間色がほとんどなのだけれども、ハイビスカスを入口にいろいろ楽しいことを思い出せそうで衝動買いした。毎朝、毎夕眺めて、ごきげんよくなれるのは良いものだ。
直径がかなり大きい花がつく。ハイビスカスって咲いたら4~5日はそのままかと思っていたけれども、1日半ぐらいでしぼんでしまうのですね。見事な花なのにもったいな~い。
行きつけの美容院にも置いてあり、かなり丈が大きくなっていて、冬でも咲いていた。もう少し、大きめで趣きのある陶器の植木鉢を見つけて年中楽しめるようにしようと思う。

きのう書影を貼った『砂の城』で読み残していた最後の1篇「大いなる波」――季節は夏でなく、冷たい風が吹く時季の漁村の話なのだが、あんまりすごい展開なので驚いてしまった。きょうになって、ゆっくり時間が取れたところで、これだけが残っていたとは……。「天からの恵みというものだろうか」と思わせられるぐらい。
その話の余韻にもっと浸っているべきとも考えたものの、「時間があるとき読んどかなきゃ」と情けない根性で、また、何冊か立て続けに良い本に当たっていると読書欲も旺盛になるので、やめときゃいい気がしながらもプリーストの短篇集『限りなき夏』(国書刊行会)に、ついつい手を出す。

半分読んだ。プリーストって、やはり面白い。
面白いけれども、2篇めの「青ざめた逍遥」って、最後の1行まで読んで、意味がよく分からなかった。
いくつか解釈できるということで良いのだろうと思うけれども……。たとえば、「ああ、運命に手を入れても、やはりこの人の人生は思い通りに行かなかったのか」という納得もできるし、あるいは、これはTo be continuedということで、彼が現実(無論、小説的現実)の世界に戻って日常を再開しようとしたとき、何かが変わっているかもしれないという読者の想像にお任せスタイルだと受け止めることもできるし……。
ただ、そういう解釈では、作者による序文にある「愛は支障なく伝わるものの、それをとりまく環境が事態を困難なものにしてしまい、最終的には永遠につづくものにさせている」という説明に合致しないではないか。相変わらず自分は恐ろしく読めていないのかもしれないとおののきつつ、それでも楽しめれば良いかと諦めるような感じ。

それから、訳がどうのこうのやら、これがどういうジャンルなのかやらということは、関心としてはあまり濃くないのだけれど、古沢嘉通さんていう訳者の日本語は、別の本でも感じたけれど、どことなく品が良くていいなあ……。どこがどうという説明はできないけれども、小笠原豊樹、小野寺健、土屋政雄といった文学者たちの訳文を読むときのような安心感がある、私には。それはつまり、原文がそういう雰囲気だということなのかしら。
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Author:中村びわ
2004年から2011年まで書いてきた
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