スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【No.1359】そうは言われても……


昨年の秋口に出たル=グウィンの評論集『いまファンタジーにできること』(河出書房新社)に、「おおっ」と身を乗り出してしまうような記述があった。「ファンタジー」と「SF」というジャンルは十把一からげにして語られがちだが、その違いを明確に説明しているのだ。

私なぞは、「どちらも空想物語だけれど、科学技術のガゼットがあるかないかの違いじゃないの?」ぐらいに考えていたけれど、「そうか、そういうことね」と、すんなり納得できた。

リアリズムのフィクションは人間中心主義に向かって引っ張られていく。ファンタジーは人間中心主義から離れる方向に引っ張られていく。ファンタジーの緑の国は、まったく人間の想像力によってつくられたもののように思われるが、人間が王や主人ではなくて、中心にはおらず、重要ですらない実在の王国に隣接していて、それに近い性質を帯びている。この点で、ファンタジーは、SFと比べると、厳密な諸科学のもたらす世界観にぐっと近いところにいる。SFはおおむね、人間の知識と支配をよしとするある種の帝国主義、宇宙に対する植民地時代的態度に陥っている。(P60)

「SF者」と自らを称する愛好家にとっては、耳が痛い指摘かもしれない。
しかし、「帝国主義者」と言われても、ひるむことなかれ。実は、この記述に先立ち、「マルクス主義者」も批判されているからだ(笑)。
彼女は、真のファンタジーは寓意物語(アレゴリー)ではないから、神学的・心理学的・政治学的等の秩序を反映しているものとしてファンタジーを論じることの愚を突っ込む。ファンタジー作品を、社会や政治等の観念から説明しようとする合理性を批判している。

ファンタジーは説明するものではなく、ファンタジーにふさわしい読み方をすることで「読者はファンタジー作品の道徳的な立場や社会との関わりが少しずつわかりはじめるのだ」(P54)と主張する。そして、マルクス主義や新マルクス主義の批評家の多くが、ユートピア小説やディストピア小説として読めるものには価値を見出すが、社会的問題に関わらないファンタジーは下らないものだと片づけがちだと続ける。
 社会的な意識でファンタジーを読むのは可だが、イデオロギーにこりかたまった読み方は、いかんと……。

よく考えてみると、ル=グウィンは「読み方」「批評の仕方」だけを批判しているのではない。ファンタジー作品が社会的意識をもって読めるものであること、道徳や社会との関わりをもっていることを求めている。

魔法を使えば世界を変えてしまうから、「ゲド戦記」の登場人物たちは安易に魔法を使わない。ここには、一つの道徳がある。けれども、ハリー・ポッターやそれに類似したファンタジーはどうか。そういうこともほのめかしているのだ。

さらに付け加えるなら、「魔法」を「権力」と置き換えて読む自由、物語世界に行って還った後で、そのような想像力を働かせて考える自由を期待しているのだと思う。
スポンサーサイト

テーマ : オススメ本!!
ジャンル : 本・雑誌

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

中村びわ

Author:中村びわ
2004年から2011年まで書いてきた
「本のシャワーにさらす肌」
http://biwa.blogtribe.org/を、
こちらに引き継ぎます。

最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
最近のコメント
最近のトラックバック
RSSフィード
ブログ内検索
リンク
QRコード
QRコード
FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。