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【No.1349】なぜ理想とする大人が周囲にいなくなったのか

2002年9月に出た、やや古い本なのだけれど、図書館で仕事の資料を探していて目につき、きょうの帰り道に少しつまみ読みしてみた。
南本長穂・伴 恒信/編著『子ども支援の教育社会学』である。

地域社会が崩壊し、子どもたちの身近に「将来ああいう大人になりたいな」と思える理想モデルが見つけにくくなってしまってきている。その問題については、別の教育書で読んだり、自分の体験を振り返ったりで認識があった。

絶えず進歩変容する機器の取り扱いに関しては、経験や努力よりも若い柔軟な適応力と勘のほうが役に立つのである。今日の情報化においては、不器用な大人は適応の早い子どもに馬鹿にされ、知識技量ともにその多さによって尊敬されることはない。また、情報化は単に多くの量の情報や知識をもたらすばかりでなく、完膚無きまでの民主化という副産物をももたらす。[中略]権力を握った大人がいかに堕落しやすいものか、厳しい社会情勢下で大企業が破綻し、善良なサラリーマンがいかに簡単に解雇・リストラされていくか、を知らされる子どもたちに対し「将来に夢をもって努力せよ」「大人を尊敬せよ」と教えることができるであろうか。(P16)

なるほど。比較するものでもないが、「地域コミュニティ崩壊」より「情報化」という環境変化の方が根の深い問題なのかと気づかされる。

子育ての日本的特徴「母性尊重」から派生した「母親が主に担う子育て」の問題点が書かれたあたりでは、「育てた子どもの世間的評価がとりもなおさず自分の評価となってしまうのである」(P30)という記述に深くうなずく。塾や習いごと探しに必死になったり、受験に入れ込んだりする、自分を含めた母親たちの群像を思い描く。

母親が何でも先回りして子どもの世話をやくと、子どもは精神的な自立の機会を失い、いつまでも幼児性を持続させたままとなる。そうした中で、母親は子どもの役に立っているという充実感をいつまでももち続け、反対に子どもは拘束され、身動きのとれない状態となっていく。(P31)

あたたた……。
「そういうことには、しばらく前から気づいている」と、言い訳したいような内容も出てきた。

少子化によって一個の子どもの価値が高まると、お手伝いのような労働から解放される。そして、過剰なエサのように小遣いが与えられる。
その小遣いが狙われ、子どもであっても「消費者」として扱われるようになる。それを巡っての指摘も「なるほど」と思えるものが多い。消費社会の裾野が広がる風潮がもたらす「ポピュリズム(大衆迎合主義)」「プライバタイゼーション(公より私が優先されること)」の問題も指摘されている。

消費者としてターゲット化された子どもには情報が垂れ流される。そこには、大人と子どもの境界がなくなる。親たちは子どもとつながるのに商品という媒体を介することも多い。確かに、「便利グッズ」と紹介されるベビーカーにだっこひも、おもちゃ、そして絵本。
また、子どもが行動の判断基準を身につけないままに欲望が刺激され、欲望が作り上げられてしまう問題も深刻だ。
学校もまた、少子化での生き残りをかけて市場化された。人気のある学校は、進学塾やマスコミが作り出す。受験や学歴も消費の対象となったという指摘にも、大いに思い当たる。

あと半分、つまみ読みしながら、情報の洪水にさらされる子どもの問題について、理解を深めたい。
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