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【No.1156】米児童文学の実力派作家たち…5月31日+6月5日

児童文学づいているのは、前向き・上向きのエネルギーを流し込みたいからなのである。

『シカゴよりこわい町』『シカゴより好きな町』の2作がゴキゲンであったリチャード・ペック。
『ホーミニ・リッジ学校の奇跡!』につづけて『ミシシッピがくれたもの』も読んでみた。
The River between Usという原書をだいぶ前に読んでいたのだが、この作品は他3作のようなコメディー・タッチと違うので、ここに掲げた通りの柔らかい雰囲気のイラストよりも、原書の表紙のようなリアルな感じが良いように思う。

『ドリーム・ギバー』は『ザ・ギバー』でだいぶ前に話題になったロイス・ローリーの作品。
『ザ・ギバー』は「記憶を伝える者」の話で、『ドリーム・ギバー』は「夢を紡ぐ精霊たち」の話。

『ミシシッピがくれたもの』は、登場人物たちが子どもであり、児童文学作家が書いているので児童文学に区分されるのであろうが、日本人にあまり馴染みない南北戦争の一面を切り取っていて、「そうか。そういうこともあったのか」を知らされる作品。
西端に流れるミシシッピ川をミズーリとの州境とするイリノイ州は、南部の方で「南軍支持派」「北軍支持派」に分かれていたというのである。戦争初期は南軍支持派が多かったものの、やがてイリノイに北軍の歩兵連隊が置かれたり、北軍が南軍の港を封鎖したりなとで状況が変わり、北軍に入隊する者と南軍に入隊する者が出た。
舞台はセントルイスまで北には行かないグランドタワーという小さな町で、ある時、ここにミシシッピ河口近くのニューオーリンズからセントルイス目指して川を遡ってきた少女2人がやってきて、そこで足止めを食らってしまう。
片方は非常に華やかな都会的で最新のファッションで着飾った少女デルフィーン、もう片方は華やかな少女に仕えている黒人の少女カリンダである。町には、彼女たちにふさわしいホテルがないということで、物語の語り手であるティリーの家に滞在することになる。
デルフィーンの華やかさ、田舎風に馴染まない物腰や言動はたちまち町の注目となる。ティリーにとってはこの出来事が大きな刺激になり、物怖じすることなく自分の意思通りの言動をするデルフィーンに次第に影響を受けて行く。

読みどころは、ティリーの双子の兄弟であるノアが従軍し、傷病兵テントに収容されていることが分かり、そこにティリーとデルフィーンが訪ねて行く場面である。デルフィーンは、そこが想像を絶する不衛生な場所で医者が制止するにも拘わらず、ノアを見舞うため中に入り込み、ティリーと共に力を合わせ、兵士たちの置かれた状況を少しでも良くしようと励む。
クライマックスでは、そのようなデルフィーンについて、ティリーやノアが気づかなかった事実が明らかにされる。

デフォルメ気味の面白おかしい極端な人物造型が持ち味の、リチャード・ペック邦訳3作と違って、かなり深刻な展開の物語である。しかし、この作品もまた、素晴らしく「読ませる」出来で、この作家の幅の広さ、懐の深さを知らされる。

『ドリーム・ギバー』は『ザ・ギバー』同様、アイデアや設定が面白い。
人間のために、その人の記憶のかけらを部屋のなかから集め、それにまつわる幸福な夢を贈る役割を果たす精霊の『魔女の宅急便』的な修業の話。新米で、おきゃんな性格のリトレストを年配のエルダリーという精霊が温かく指導していく。
ここに、家庭崩壊で傷ついた母と息子の物語が絡んでくる。この絡んでくる物語は、割に普通。よくありがちな問題が明らかになり、そうあってほしいという方向へと徐々に進んでいく。実はそういう意味では、さほど「読ませる」内容にはなっていない気もする。
この物語は、夢を紡ぐ精霊ということで、ワンアイディアの物語とマッチさせるのではなく、その存在を何かもっ大きな物語のなかで活かすべきだったのではないかと思え、もったいない気もした。
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中村びわ

Author:中村びわ
2004年から2011年まで書いてきた
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http://biwa.blogtribe.org/を、
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