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【No.1155】意思が失われた時に望むこと…5月30日

午後から母校の高校に出かけ、楽しく、且つ有意義な時間を過ごした。
卒業生の同窓会の総会を行ったあとに、前は中井貴恵子(貴恵)さんのグループの読みきかせ、昨年は『源氏物語』の語りの企画があって、それから茶話会で歓談してお開きという流れの催しなのだが、今年は友だちを何人か誘ってみた。

久しぶりに顔を合わせる人たちとおいしいものを食べながら話せて楽しかったし、帰りには校庭で練習をしていたソフトボール・チームの顧問の先生(もう60歳になるというのだが、30年前と変わらぬカッコいい女傑)に旧姓で呼び掛けられ、「おーい、みんな。この人、昔ソフトやっていた、あなたたちの先輩だよ」と紹介され、「こんちはー。明日、F校と練習試合なんだって? しっかりかっとばしてね! 私もその昔、Fの剛腕ピッチャーからヒット打ったよ~。がんばれ~」とカツを入れて昂揚して、ヒールの高いパンプスでなくて「グランドを走れるスポーツシューズで行けば良かったぜい」と後悔して……。

そういう陽気なおばさんモードもあったが、今年の企画では都内の大きな病院で医療ソーシャルワーカーとして働いている卒業生の講演が聞け、さらに帰りに、誘った友だち2人から親の介護の話を聞き、下に挙げたような「終末期医療」「リビング・ウィル」「バイオエシックス」などについて少し見識を深めることができた。
正確に言うと、これからの人生を生き抜いて行くための知恵を授かったというよりは、私の場合、まだまだ他人事のような気にしかなれない。ソーシャルワーカーという仕事、そこに相談に来る人びと、今の日本の福祉行政の不備に翻弄されながら介護に当たる友だちのことが、まるで小説で読んで知らない世界を知ったかのように「世のなか、いろいろな人生があり過ぎる」といった感覚である。
そういう発想も不埒なのであるが、小説を書く人がこういう話を聞いたら、さぞや大きな刺激を受けて創作意欲が湧くであろうという感じである。

医療ソーシャルワーカーの場合、「社会福祉士」「精神保健福祉士」という2つの国家資格を持つことが最低条件のようである。
患者やその家族が、医療を受けたり、退院したり、在宅療養に移っていったりするときに、精神的不安や経済的不安などを抱えていることがある。ソーシャルワーカーは、そういったことの相談に乗って患者と家族、あるいは医療従事者の抱える問題を支援していく仕事なのだそうである。

個人情報保護の絡みがあるので事例を少し変えての説明であったが、具体的な相談の例をいくつか提示して、それをどういう手順で支援していったかという実践的な業務の説明がなされた。
例えば、幼い子どもたちがいる父親が突然倒れ、意識が戻らない状態になったとき、医療費や生活費をどうしていけば良いのかという妻の相談。
子育て中の妻がガンに侵され、食事ができず栄養点滴が必要な状態での終末期状態で家に帰る。このとき、生活や在宅治療をどのように支援してもらえば良いのかという相談。
年金収入はあるが、遠い親戚しか身よりのいない高齢者が食事制限の必要な病にかかっていて、認知症も悪化してきた。この人の退院に当たり、食事を含めた生活面、金銭管理をどうしていけば良いかという相談。
救急で搬送されてきた意識のない高齢者について、かろうじて名前や連絡先は分かった。しかし、身元を引き受けてくれる縁者が見つからない。どのような治療を進めていくべきかを誰がどう判断していくのか、治療費はどうするのかという相談。

こういったものに適応できる制度やサービスがいろいろ紹介された。
「高額療養費制度」「限度額認定証の手続き」「傷病手当金」「高齢者でなくても40歳以上の特定疾病に給付される介護保険金」「成年後見制度」といったものである。ほとんど初めて耳にする言葉であった。
大きな病院であれば何人かはいるソーシャルワーカーがこうして相談に乗ってくれるが、それにはもちろん地域格差があるだろうし、スタッフの不足も予想される。地域福祉の担当者との連携が必要不可欠であるが、この地域福祉担当者にかなりの温度差もあるようなのである。つまりすぐに熱心に動いてくれる体制が整っているところと、急ぎの状況を理解してくれず、やたらに時間がかかる窓口と……。

このような話のあとに、「いざ病気」に備え、どういう準備をしておくべきかという提案もあった。
そこで強調されたのが、「リビング・ウィル」を用意しておくということである。
ネットで調べると、臓器提供をどうするか、葬儀をどうするかといったこともリビング・ウィルに含めることもあるようなのだが、きょうの話は、医療についてのリビング・ウィルである。
認知症が進んだり、意識がなくなったりして判断不可能な状況になったとき、自分らしい最期にするため、医療をどこまで行ってもらうのかということを紙に書いて示し、家族や医師の確認を受けて残しておくことがこれから必要になってくるだろうということであった。
例えば、人工呼吸器をつけるのか、心臓マッサージをしてもらうのか、高カロリー輸液はどうするのか、点滴などによる水分補給は受けたいのか。

内容的にはそういうことなのであるが、一緒にいた友人は「呼吸器をつけるのに100万といった費用の問題も出てくるので、経済的なことも併せて考える必要がある」と言っていた。
「当面は年を取ってきた親のことが心配」という感じなのであるが、意識を失い、意思を伝えられなくなるというのは、高齢者になってからの疾病の場合だけではなく、突然の事故に見舞われた場合ということも有り得る。
医療スタッフが日々どういう事態に直面しながら働いているのか、介護をしている人が日々どういう葛藤や不安を抱えているのかという、かなり重い現実を知らされ、想像を超えたところにある状況をどう整理しておけば良いのか、これから考えをまとめるために、とりあえず書いてみたというところなのである。
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中村びわ

Author:中村びわ
2004年から2011年まで書いてきた
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http://biwa.blogtribe.org/を、
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