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【No.1154】天からの賜り物のつづき…5月28日

「粕谷の図書館は児童書が充実しているんですよ」と、読みきかせでよく一緒に組む仲間に教えてもらっていて、それがどういうものか気になっていた。
それで一昨日の午後、時間があればたまに行う「図書館で絵本の読みだめ」をそこで行おうと出かけていった。と言っても、実際は、おはなし会で使えそうな絵本の物色になるので、ぱっと開いて文章量がありそうなもの、描き込みの細かい絵柄の本はすぐに元の棚に戻してしまう。そういうものは、よほど気になったものだけ借りていき、自分のためにじっくり読む方に振り分ける。

都内には大型の書店がいくつかあり、そういうところもたまに巡回して探したり買い求めたりするのであるが、品揃えにはどこも限りがあるのだ。児童書や絵本の数がいくら揃っていそうに見えても、少し前に出た本、だいぶ出た前に出た本はどうしても、担当者の目配りが行き届いており、且つ商品として動く見込みのあるものに限って並べられるだけなので、「流通していないけれどもおはなし会を盛り上げられそうな本」は見つけられない。
書店と図書館に共通して並んでいるものも少なくないが、定番本以外の発掘には図書館の棚チェックが欠かせないのである。

途中、日大グランドで陸上部の選手たちが走るのを眺め、畑の多いとても世田谷とは思えない風景の中(元々は田園地帯だったのだけど)を抜けて、明大グランドでラガーメンたちが動き回るのに感激しながら、「ここにはトルストイからの英文の手紙が展示してあったなあ。○○先生や○○先生とご一緒したのは何年前のことだろう」と蘆花恒春園(徳富蘆花の住まい)のある芦花公園の横を通り、気分の良いサイクリングで現地到着。
住民センターの地下1階フロアだけの図書館なのでそう期待していなかったのだが、これがとても良い感じの図書館であった。ワンフロアだが、よく考えると102000冊の蔵書。これは世田谷区の図書館のなかでも多い方で、それが階段の上り下りをしなくて済むスペースに並べられているってすごい。
建物が新しく、比較的ゆったりしたスペースで、書架も下の段の方は見にくいのであるが、高さがちょうど良い。
しかし、そのような全容が分かったのはだいぶあとのことで、着いてすぐは、「とにかく何かを見つけなきゃ」と限りある時間を意識しながら、相当量の絵本棚に当たり、しゃがみながら出してはチェック、出してはチェックを繰り返した。
「ああ、この作家、こういうのも出していたか」「この本は前に見たけど、あの会ならば使えるかもしれない」「こっちの本も、あのテーマを切り口にすれば使える」など、いくつかの目的のためにメモを取ったり借りるつもりの本を抱え込んだりの作業をする。ざっと目を通してみるもの、前に見たはずなのに内容の展開を忘れてしまったので見直すもの、少しはじっと眺めるものなどさまざま。
小さい子の目線に合わせた棚は低いので、長身の私がしゃがみ込んだまま右に左に蟹歩きは結構辛い。

絵本のめどが経ったので気分転換に海外小説の文庫や単行本のラインナップも見に行くことにする。文庫の数はそうないが、単行本の方はかなり良い感じの選書であった。世田谷の場合、いくつかある図書館で新刊を分割して持っているので、よく売れた本はどこにも置いてあるが、地味な出版物は各館でバリエーションがあるようなのである。

そのようにしてフロアを歩いていると、地下1階なのに窓が設けられ、小さな外庭が眺められる気持ち良い作りになっていることが分かり、さらに窓の周辺が雑誌と閲覧椅子が置かれていて、なかなか気の利いたレイアウトであることが分かってきた。「時間があったらのんびり雑誌でも読みたいねえ」と思いつつ帰ろうとした。
しかし、そのとき、ふっと呼び戻される感じがあったのである、子どもの本のある場所に……。
「そうだな。子どもの読み物もどのぐらい置いてあるのか見といた方が……」
そういう気にさせられ、今度は絵本ではなく児童文学の棚を見ることにしたのである。

そこで出合ったのがシンガー『やぎと少年』なのだが、なぜ目についたのか。
この作品は過去に装丁を変えていくつかの形で出ていたようなのだが、私が目にしたのは1993年に出された「岩波 世界児童文学集 全30巻」の1冊であった。おそらく函入りだったと思われる。その函が取り払われ、本体の橙色のクロス貼り(「張り」かな?)のところに図書館装備用のコーティングがされているものだから、紙のカバーに背タイトルや著者名が印刷されている他の本の感じと違い、何か目立って見た人を吸引する力があった。束(つか)、つまり本の厚さは15ミリほどしかないのに、何か違うぞという存在感を放っていたのである。
クロス貼りなので、背タイトルは当然のように金の箔押し文字である。「箔押し萌え」の私がこれを見逃せるわけがない。そして、著者名は箔押しでは読みにくいのか、パソコンで打ち出し印刷した紙片が貼られていた。こういう地道な図書館担当者の仕事がまた「萌え」なのである。
ぜひとも読んで欲しい重要な本だから、古めの本なのにそこに並べられ、しかも手を加えられている。そのことが分かった。しかし、子どもたちが好んで手に取る「なり」をしているとは思えない。そういう本は私が読まなければならないのである。
「ああ、これは、私のような読者が現れることを待っていた本なのだ」――確信を持って有難く借りてきたのであった。
子どものための活動をし、その仲間から図書館の評判を聞き、行ってみたら出合った。しかし、それだけでなく、海外文学をよく読んでいたからシンガーのことを知っており、もっと読みたいと思っていた。さらにこれらに遡る糸もたぐり寄せることはできる。いくつもの小さなきっかけが重なり合い、ある一日の終わりに「天からの賜り物」はもたらされたのである。

同書は世界文学集のシリーズはすでに品切れのようだが、別の上製本の形(24時間内発送のバリバリの現役本)で、岩波書店に在庫があるようである。そばに置いておきたいと思う。
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中村びわ

Author:中村びわ
2004年から2011年まで書いてきた
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http://biwa.blogtribe.org/を、
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