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【No.1152】児童文学を評する難しさ…5月25日

3月に子どもの本のイベントの一企画で、荒川洋治さんが話すのを聞く機会があり、これがとても面白かった。
対談のホストが岡崎武志さんという、古本のガイドをよく書いているライターさん? よく知らないのだけれど……。

人が本について話すのを聞くより、あるいは書いたものを読むより、本を読んでいた方がいいように感じるので、話を聞きに行くこともほとんどなくなってしまい、これも元々はお付き合いで出かけて行ったのである。内容にはあまり期待していなかったし、「現代詩の荒川洋治」という認識しかなかったのだが、荒川氏がものすごい文学の読み手であることを今さら知ったのであった。
そういや、朝日新聞に時々、文芸時評を書いていたような……。

荒川氏の村上春樹観など面白おかしく聞いて、そこでキャッチしたパレスチナ文学カナファーニー『ハイファに戻って/太陽の男たち』をしばらくして読み「おお、やはりすごいものだ」と感心し、誰の何という作品が素晴らしいという情報を半分ぐらいは頭に入れて……。
それと、「今の若い文芸評論家は総辞職。本をいっぱい読んでいるのは分かるけれども、それを難しい言葉でこねくり回して書くから、文学が余計専門的なものだと見なされてしまう。文学は一部の愛好家のものではなく、生活していくための実学なのだ」「昔は若い人が読む本というのがあって、それは大人が読む本とは違っていた。今は若い時代に読む本というくくりがなくなってきて、それが読書界に大きな影響を及ぼしている」というような感じのポイントの話を非常に深く納得しながら、うんうんと聞いて帰ってきた。
「自分の場合は、本から得たエッセンスをちゃんとより良く生きていくための姿勢に反映できている」という自惚れでもって、「私は悪くない読者だ」と自画自賛しながら良い気分で帰ってきたのである。
荒川氏は話術の妙手で、独自の価値観を伴った情報が素晴らしく、終わった後はオーラを消して、一般人のようにして人ごみにまぎれサササッと、たぶんタバコを吸いにお茶の飲める店へと単身消えていく姿もお見かけし、ちょっとしたファンになってしまった。

文芸評論の難しさはさておき、私は、それより難しいところにあるのは児童文学評論ではないかと思っている。
児童文学評論の場合はまず、「誰のための評論か」という、スタートラインに立つ前のところから議論が求められるからである。
だって、児童文学は児童が読むものであるから、彼らにとって良い本の紹介がされることが望ましいのだが、実際には、児童文学評論は、児童文学を愛好する、あるいは子どもに紹介する大人のためのものとなっている。その辺がどうなのかという議論がまずは難しいところである。
その他にも問題はあり、愛好する大人のためのものだからなのだろうが、児童文学評論を謳っているような雑誌においても、それがただの感想文集になりがちなこともある。
つまり、たとえば宮澤賢治の特集号を組むとすると、「賢治文学をどう斬るか」という新たな視点が提示されるのではなく、「私にとっての賢治」みたいなエッセイばかり並び、おおよそ読む気にならない思い込み文集になってしまう(追記:これはもちろん、名の知れた物書きや有識者が集まって名文を読めれば良い企画だ。しかし、名も作品も知られていない児童文学作家や児童文学周りの人が書いてばかりでは仕方ない)。ざっくり書くと、これが児童文学雑誌の振るわなくなった原因であろう。その前にすでに、日本では、児童文学にほしかった才能がよそへ行ってしまったということもあろう。つまり、評するべき作品の長年の不作という現象である。

というわけで、荒川洋治氏と似た考えなのだが、「文学はもういいんじゃないの」ムードの村上春樹氏に児童文学でも書いてもらうと良いのではないかとも思う(今、思いついた)。

この児童文学を評する難しさというのは、実は下のカルヴィーノ『カナリア王子』とフォンベル『トビー・ロルネス全4巻』について書いていて、つくづく感じた(「評」というのは「草書評」であって、本格評論でないのは承前のこととして)。

『カナリア王子』は、児童向けの本だというところを捨てて、彼の奇想天外な物語の源となった大仕事、同時にイタリア文学やイタリアにとっての大仕事という点に逃げて紹介文を書いてみた(そう書くよりなかった、というのが偽らざるところ)。


ひいひい言いながら、きょうやっと第3巻について書いた『トビー・ロルネス』。実際、ロレンス・ダレルの「アレクサンドリア四重奏」の各巻について何か書くより難しいんじゃないの、これ……という感じ(アレクサンドリアについては、特に第3巻の圧倒的エジプト観、世界観に打ちのめされながら、それについてタイミングを得て書く機会を逸した。読後忙しくなってしまったことが悔やまれて仕方ない。再読ののち何とか第3巻以降も書きたいものである)。
草書評なりに、独自性や書く意味を模索しながら工夫、挑戦しているけなげな姿(笑)。これを受け止めていただければ、と願うのよね。
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中村びわ

Author:中村びわ
2004年から2011年まで書いてきた
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