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【No.1150】10代の置かれている場所…5月7日

何か「子どもの日」に向けた統計で、全人口に占める子どもの比率が都道府県別で11~14パーセント程度で、子どもが珍獣化しているって?
うちでも1匹飼っていて、それを伝えると「やっべぇ。やっべぇ」と申しておりました。
「将来、社会を支えていく」ということについて、私のときには考えられなかったほど鋭敏に感じている様子。
こないだも真顔で見つめられ、「介護はオレがやらなくちゃいけないの?」と訊かれた。
「大丈夫。お母さん、お父さんを看取ったあとは、贅沢な施設に入るお金はたんまり残しておくから」とは請け合えなかった。

「10代が置かれた場所」って、10代と言っても10歳と19歳では、30歳と60歳ほどに違いはあるだろうから、都合の良すぎる見出しなのだけれども、見出しってそういうもの(目を惹くためのもの)だから……。

どちらも映画の原作であり、ヨーロッパの本というぐらいしか共通点はないが、「10代」というテーマでくくれないこともない。
『エル・スール』は、スペインの小説。女の人が少女時代について語るのだけれど、亡き父へ向けての語りとなっている。主に父親から受け継いだ「孤独」の資質について内省的に語る。

どこに生まれようと、10代は成長する年代であるゆえに、自分というものが確定できない。自信が持てずに、自分という存在を模索しつづけている。それも最近の調査で、自己肯定感の持てない若者が多いということらしいのだが、そればっかりは時代がどうのこうのではなく、自己肯定感が持てないのは当たり前という気がする。
ただ、遊ぶのに忙しかった昔の子はあまり内省的になる時間がなかったけれども、外を駆け回るスタイルの遊びが消え、家で数少ない友だちやきょうだいと遊ぶ今の子は、自分について考える時間が増えているのではないかという気もする。それも閉塞的に……。やはり時代の傾向か。
この辺、内山節氏『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(講談社新書)にも書かれていた、生命の自然との一体感がなくなったという点にもつながっているのかとも思う。内山氏のこの新書、新書とはとても思えない、昔の中公新書ばりの濃い内容である。

『教室へ』はフランスのノンフィクション。
コレージュと呼ばれる中学校でフランス語教師をつとめていた著者が、教室や職員室の日常をひたすら綴った記録。
感想や見解、主義主張が省かれて潔く書かれている。それが痛快。
パリ19区という移民が多い地区だけに、フランス語の学習は困難を極め、さまざまな子が集まっているので、こぜりあいや問題が絶えない。
「何がどうだ」と断言されていないので、教育についてああだ、こうだと話をしたい人たちが叩き台にするのに非常に良い材料だと思う。

話が飛んでしまうけれども、昨年、東京都写真美術館で見た「世界報道写真展」で、スペインの若者たちが撮られている写真があった。幼いころに性的虐待を受けたのだという。
スペインでは、子どものときに虐待を受けた経験のある人が3割だか4割だか、尋常ではない数がキャプションとして付いていて驚いた。10代以前の話なのだけれど、子どもを取り巻く環境の困難って、自分が考える以上に世界には満ち溢れてしまっているのだと愕然とした。
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