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【No.1147】絵本の表現…4月30日

福音館書店で月刊絵本「こどものとも」を大きく育て上げた松居直氏は「絵本はおとなが子どもに読んであげるもの」と言っている。私の場合、それよりややルーズに「絵本はおとなと子どもで楽しむ本」と捉えていて、英米他で言うPicture Booksという美術書扱い的な感じと、日本で言う「絵本」は若干ニュアンスが違うことを面白く感じている。
そういうことを考えるのは、やはり下のような絵本に触れたときだ。

昨年暮れに出た『なぜ戦争はよくないか』(偕成社)と、つい最近出た『東洋おじさんのカメラ』(小学館)、これはどちらも「戦争」というものを扱っている。対照させて読んでみるとその差異から読者対象を思い、上のような「絵本のあり方」を考えるのだ。

「絵本のあり方」って、絵本については語りたいという人が多くて、「こういうのがいい」「こうでなくてはならない」など百家争鳴だけれど、まあ、よりどりみどりいろいろあり、端っこのところでは、可能性を押し広げて行くような動きが絶えなければ良いのではないでしょうか。
他の様々な創作のジャンル同様に……。

『なぜ戦争はよくないか』はスピルバーグ監督の映画化でも有名になった『カラーパープル』が代表作の黒人女性作家アリス・ウォーカーが9・11テロ事件に触発されて文章を書いた作品。
これは、「中学生に送る偕成社の新刊絵本2009」シリーズとしてセット組もされていて、セットの方は主に学校図書館に向けて販売される。すると、学校によって対応は様々だが、図書委員の子どもたちが選書したり、司書教諭ないしは図書事務担当の人が選書したりして、元は税金である学校に割り振られた図書予算で購入する運びとなる。
お金は持っているけれど本のことがよく分かる人がいないという学校では、営業マンに「ドカッと行きましょう、ドカッと」と押し切られるようなケースも、学校販売にはあるでしょうね。

話がそれたけれども、対象が中学生の絵本で、内容を改めるとまったく小学高学年、中学生以上向きという感じである。
「戦争」が人格化されているのだ。したがって、ある一定の読解力が要求されてしまう。
戦争というものがなぜ人間のように書かれてしまっているのかということが薄ぼんやりとでも意識されないと、読むのにちときつい。
「理解まで及ばなくたって、内容のインパクトに打たれる経験だけでも構わない」という意見もありとは思うけど……。
書き出しがこんな具合。

戦争は なんでもできる
どんな国の言葉も話すことができる
でも カエルたちに
何を どう話せばいいか
戦争はなんにもわかっていないのよ
(長田弘・訳)

「はあ?」という感じもありますよね。一体何の話が始まってしまったのかと煙に巻かれるような気分も……。
しかし、読書人を気取る場合は「はあ?」はまずい。言及する表現が試される、的なこともある。
まあ、たちの悪い冷やかし口調はよしておいて……。

戦争という主体が縦横無尽に冷酷非情であるという描写や説明が貫き通されている。それに見合う絵がついているのだが、牧歌的な人びとの生活がイタリア人画家によりカラフルに表現され、それが徐々に害悪に侵食されていく様子が描かれている。コラージュが効果的に使われている。
テキストと絵で芸術性は高く、絵本界の端っこの方で、絵本表現の限界を押し広げているような感じがある。おそらくその意味で出版価値が認められ、賞として評価に値するという質を実現している。
その質の評価をもっとしっかりやれと言われれば丁寧に書けないこもないが、正直、苦手な本であるので、これぐらいで……。

ただ、もう1つ言えるのは、米国向きというか、米国らしい絵本だとも言える。
先生が生徒にものを教え込んで行く日本の教育現場にはあまりなじまない。こういう本を持ち出して、円座になって議論をしていく授業をするような国の教育になじむ。そんなことも考える。
<この項つづく>
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中村びわ

Author:中村びわ
2004年から2011年まで書いてきた
「本のシャワーにさらす肌」
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