スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

1月行った、2月逃げた、3月は去るか…3月1日

今日はこちらにも坂東真理子風に書いています。ということで、「品格」に触れる話を少しばかり。

マイケル・オンダーチェ『ディビザデロ通り』(新潮社クレスト・ブックス)、かなり良い。オンダーチェは美しいものを、そう表現してほしいという形で書いてくれる。
あっ、ただ、この小説は「小説読み」として、中級ぐらいでないと楽しめないと思いますよ。

例えば、このなかに白人の少女が家出して、ヒッチハイクで黒人ドライバーのトラックに拾ってもらうエピソードがある。
読み手は、何かむごいことが起こるのではないかと不穏なものを想像する。しかし、それを裏切るような良いエピソードを提供するのだ。どういうものかは具体的には書けないが、「人情ってそういうものだよな」と思わせるような救いをこちらへ投げてくれる。

オンダーチェはスリランカの富裕層の出身であるが、いろいろな血が混じっているために、人種という面で何かいやなことに遭ってきたのかもしれない。だからこういうものが書けるとも安直に考えられる。つまり、黒人という弱者にありきたりの役割を与えないということだ。

ところがカーレド・ホッセイニというアフガニスタン出身のベストセラー作家。
『千の輝く太陽』は良い出来なのだが、「ちょっとこれは勘弁してほしいな」と思わせるような挿話を書く。生理的にいや~な感じの残るエピソードである。それは、映画でヒットした『君のためなら千回でも』にも同様のものがあった。
前に、南アフリカのクッツェー(ノーベル賞作家)の作品でも感じたのだが、そういう小説の性質が私は苦手だ。
これは、初めて会った人に清潔感がなかったり、何か人品卑しい感じの笑い方をされたり話をされたりすると、あんまり親しくはなりたくないと感じてしまうのと同じ。無論、自分がそういうファースト・インプレッションを与えていないかどうかは常に気になるところ。

むごいエピソードを書くのであっても、それを取り上げる微妙なタイミングや、切り口などで、作家の「真」の在りかのようなものが透けて見える。
作品の出来不出来という評価とは別のところで好き好きが決まり、それが読み手独自の評価につながる。そういうところを的確な言葉で表現できることに私は1つの幸せを感ずる。

見出しには関係のない話になった。
見出しを振ったときは、まったく別の軽い話を書こうとしていたのであった。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

中村びわ

Author:中村びわ
2004年から2011年まで書いてきた
「本のシャワーにさらす肌」
http://biwa.blogtribe.org/を、
こちらに引き継ぎます。

最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
最近のコメント
最近のトラックバック
RSSフィード
ブログ内検索
リンク
QRコード
QRコード
FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。