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【No.1033】穏やかな内耕…6月12日


小説と並行させて読書中。
詩人・長田弘氏の既刊エッセーから旅の記録を集め、手を入れた大巻『読むことは旅をすること 私の20世紀読書紀行』(平凡社)である。森本哲郎氏の『空想紀行』を思わせるサブタイトル。贅沢な本を、ある方からご厚意で送っていただいた。
平易で読みやすい文章だが、長田氏が1970年代から半生をかけて旅して思索した記録なので、内容が濃く、少しずつ読み進めては、土地とそこに深く関係した作家や詩人の生きざまについて考えさせられている。

若き日、長田氏は北米のアイオワ大の客員詩人として、そこで研究生活を送った。アイオワ大出身のフラナリー・オコナーについての文章が所収されている。オコナーと一緒に学んだ人物から聞き得た話にぐっと詰まり、また、オコナーがカポーティをそのように評価していたのかという意外な記述もあって、文学好きには魅力多い本だと思う。
ベンヤミン、ガルシア・ロルカ、オーウェル、ポール・ニザン、パヴェーゼ、アフマートワなど、かなり渋めの文学者、作家たちが取り上げられている。

アイオワ関係で、こんな一節を見つけた。
――普遍的人間なんてものはいない。人間はなべて、どうしようもなく限界の人間であるということ。あるいは、自分の限界の体験を生きる人間であるということ。
この何でもないただの真実を、まっすぐ引きうけられるかどうかが、すべてであるということ。(P193)

ある黒人との会話から到達した思いを吐露した部分なのだが、こういう掘り下げを読んでいると、比べるのもおこがましいが、長田氏の人間の器があまりにも自分とは違い過ぎて、打ちのめされる。
内面に下りていくという作業は、私も心がけて行おうとしていることだが、どうしてもラディカルに必要以上に痛々しくやってしまう。このように穏やかに慎重に、かたまりをほぐしていくように掘り下げられることを羨ましく思う。
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中村びわ

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2004年から2011年まで書いてきた
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