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【No.1132】穴に落ちたら這い上がれ!のつづき…2月21日

さて、子どもの本には、「穴に落ちる」という話が結構ある。

えーと、その前に、【No.1131】で、『ろくべえまってろよ』を批判しているような流れになってしまいましたが、ちょっと言い訳。
私、この絵本、子どもが小学3年か4年のとき、教室での読みきかせに使いましたよん。
なぜ選んだのかというと、小学校の先生方が研修で使うような作品だということを知っていたので、先生への配慮ということが1つ。
それから、「わんこ、どうなっちゃうのかなというハラハラドキドキ→わんこ、助かって良かったあ」という感情の流れをクラスのみんなで共有してほしかったから……。これはもちろん、教室という場において、同じ体験を重ねるということの大切さを意識したものであり、朝の時間という貴重な教育のひとときを分けていただいての活動だったので、そこで何かしらの貢献をしたいと考えたからです。
「ああ、良かった」という安堵感に着地させることで、それ以降の集中力へもつなげていける。良い形で1時間めの授業に持って行けるよう、担任の先生へバトンを渡せます。それがうまく行ったかどうかの自己評価は難しい。難しいけれども、学校という場でボランティアをする人ならば、子どもの前で何かやるということに舞い上がらず、そういう意識を多少なりとも持って選書をするのが良いのではないかと思います。

さて、読書アドバイザーの先生のような発言をしてみたところで(笑)、『ポッチャーン!』は、水の表面に映った月をチーズと勘違いして、井戸に落ちたオオカミの話。
『いったでしょ』は、現物が手元になくて確認できないが、確か穴に落ちちゃうシーンがあったと思う。この絵本、前にも書いたけど、親にとっての良い育児書だ。私は、そう自分のキモに銘じて読んでいた。「良い育児書です」と断って、医療機関のボランティアでも、お母さんたちに何回か紹介している。
母親が子どもと一緒に歩いていて、危ない目に遭わないように前もって注意するけれども、子どもは母親が心配した通りの失敗をする。だから「いったでしょ」と母親が声をかける。これが、ごく短い言葉で表現され展開していくが、ヤマ場のところはちょっと違うパターン。高い場所にさしかかった子どもが「注意はしないのか」というニュアンスのことを尋ねると、意外にも「飛びなさい」と声がかかる。
この本も中学年ぐらいの教室で、何かのおまけ本として利用したけれども、子どもたちの気分に実に合っていたのだと思う。終わってからしばらく、「いったでしょ」「いったでしょ」と子どもたちが口々につぶやいていた。
右端の『マンゴーとバナナ』は、一緒に収められているインドネシアの民話「まめじかカンチル」が穴に落ちる話なのかな?
東京子ども図書館のガチガチ硬派読みきかせ一派(これは私の偏見なのでスルーしてちょんまげ)が「おはなしのローソク」という素話に使う冊子シリーズを出していて、どうもその素話というやつ、一字一句をたがえてはいけないらしいのだが、しかも、話す前に必ずローソクを灯すらしいのだが、そこにも入っているみたいですね。これが穴に落ちる話というのは検索ゲットの情報なので、自分のメモ代わりに貼っておく。

文学でもいくつかありますよね。

もはや内容を忘れかけているが、『ねじまき鳥クロニクル』では主人公が穴を掘っていくようなイメージで自己を掘り下げていくと、それがノモンハン事件につながっていくような、ちょっと『カラマーゾフの兄弟』にとっての「大審問官」という関係を思わせるような挿話があった。
『穴』は、落ちるというより掘る話だ。でも、先祖が昔落ちたのだったか。面白い話だったということだけ覚えていて、内容はすぐに忘れる私。感想を書き残していない本は紹介できませんね。
『穴』は文庫本にもなった。うちの中学生に読んでもらわないといけない。
もう1冊、確か映画を見て、このログのどこかに感想を書いたはずの『古井戸』という中国文学もある。鄭義という作家の作品で、井戸に落ちた男女のエロス・タナトゥス。安部公房『砂の女』的設定であった。鄭義は『神樹』という大作も傑作の誉れ高いみたいですね。

ところで、『ねじまき鳥クロニクル』を書いた村上春樹氏がイスラエルの虎穴のなかにわざわざ出かけて行って、ガザ侵攻に批判的な発言をしたらしいが……。それだけの情報から考えてしまうと、賞をくれるという人々に対して批判的な発言をするぐらいなら、何で賞を辞退して声明を出すに留めなかったのかが疑問だ。
あざとい演出的効果にしか感じられない。何かのロビー活動なのかな。
イスラエルが祖国のようなものである指揮者ダニエル・バレンボイムが、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートのトークでちらりガザ侵攻を批判するというのとはわけが違うっしょ。ああいうのは、「日本人というのは、場をわきまえられない人種だ」という見方はされないのだろうか。

最近の作家の発言で言うと、水村美苗氏が自著『日本語が亡びるとき』についての好意的なレビューのいくつかが削られたのはおかしいとアマゾンにかみついたみたい。これについては、「作家がネットに書かれていることを気にしているということをバラしたらダメよ(作家や記者がネットでネタ拾いしていることもばれちゃうじゃん)」というのと、「アマゾンは本屋であって、しかも本の専門家でない人たちが始めた本屋という商売であって、文芸サイトじゃないんだから」という感じですかね。

ネットのネタ拾いは私もガシガシやりますが、今のところ商売にしていないということになぜか贖罪的な感覚はある。
こういうところで絵本ネタを拾って新聞社系の教育雑誌でエッセイ書いたり、良識人が篤志やボランティアに目を向けていることをキャッチして事業を起ち上げたりしている人は、よもやいないだろうね(笑)。
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中村びわ

Author:中村びわ
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