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【No.1122】雑記あれこれ…1月17日

◇ニュース番組で、センター試験を受けた子たちへのインタビュー。
「親に大変な思いをさせられないから国立」
「経済的に大変だから、私立の数は絞った」
「不景気だから、いい会社に勤められるよういい大学を目指したい」
といった回答。
「大学入ったら、目いっぱい遊び倒してやるぜ」
と考え、その前提として親からの小遣いを当てにしていたバブリーな自分を思い出し、非常に恥ずかしい気持ちになる。

今の若い世代は、それが将来の就職で有利ということもあろうが、エコ志向、ボランティア志向、資格志向など地道で偉いと思う。
ああいう子たちが、きちんとした職を確保して、家庭を持ったり子を持ったりしたいというときに、きちんとそれが叶うように社会をしなくちゃいけないと思うけれど、どうすれば良いのか。もっと働いて、社会保険料や税金を多く納めるようにすればいいのか、具体案思いつかず。

◇上に関係するけれども、図書館で「MOE」という雑誌の最新号で綴じ込みの鏡リュウジの占星術特集を見ていたら、獅子座は前世は革命家だったらしい。今の世のなかに対する憤りを夜ごとブログやサイトに書き込んでいるだろうけれども、持てる創造的力で社会に働きかけるべき、というようなことが書いてあった。
「ほっといてくれ」と言いたくなる一方で、「ほほう、国民の12分の1程度がみんな前世は革命家でっか」と思う(追記:考えてみれば、前世も日本人なら百姓一揆には参加していたかもしれぬ。外国人であっても、奴隷の反乱やら、農奴の反乱やらもあるし)。
血液型はA型が多いけど、星座は何座の人口が多いのか。
教員の家庭では、保育園に預ける関係からか、4月に計画出産をすることが多いというようなことなら聞いたことがある。

◇クルム伊達公子がカッコよすぎ。
本戦も勝ち抜き、世界ランキング上位に再び返り咲いてほしい。
これからのマダムは筋肉ですね。
小さい頃からの栄養が行き届いている30代後半という世代は、体力的にも「まだまだ行ける」と思えるだろうし、精神面でも安定している。一般社会での復職みたいに、返り咲きで十分きれいな花を咲かせられると思う。

◇刺激されたこともあり、しばらくおさぼり状態のランニングを今朝やった。
5時半起きで弁当を作り、洗濯物を干して、ざっと掃除機をかけて、15分ほどストレッチ。
それから図書館で借りた絵本を返しがてら公園へ。
前は10周走れたところで(しかも自宅との往復も走り)3周走るだけでへろへろで情けなかったが、朝の新鮮な日の光が気持ちよかった。地元の中学のテニス部も朝練で集まっていたようだ。
それから図書館へ行き、雑誌の閲覧しながら弾んだ息を整える。
備え付けのスポーツ新聞で、出走する馬を書き留めていたおじさんがいたのだが、年をとったら、こういう生活を毎日できれば、新聞代は浮くなあと思った。図書館の近所、公共のスポーツ施設の近所に住むと、お金をかけずに暮らせそう。
節約して余剰が出せるような身分であれば、バブル世代として、若い世代に借りを返そうという気持ちだけはある。何かバカな遊びで湯水のようにお金を使ってしまい、その間に良い投資をしなかったから今の社会にしちゃったんだよね、と私的には妙に納得している。ごめんね。

◇図書館から戻るとき、スーパーマーケットで買い物したのだが、小さなお財布に小銭を1000円ばかり入れていただけということを失念しており、レジで油揚げを戻しても足りず、「他に何をやめておきますか」と年配の優しいレジ係に問われ、牛ひき肉も置いてくるはめに……。
それでも、「いいや、カレーぐらいなら作れるだろう」と思って帰ったら、小玉たまねぎが2分の1しかないのであった。
こういうことはよくあるのだ。頭のなかに別のものが詰まっている場合が多い。
今朝は、ストレッチからランニングに至り、ソ連という管理が行き届いたディストピア的社会の副産物として、いかに芸術の豊穣がもたらされたのかということを改めて考えていたのであった。予期され得なかった結果の面白さ、いや、ソルジェニーツィン他の有識者のことを思えば、「面白い」は語弊があるにせよ、その皮肉な展開、運命のいたずらについてしみじみ考えていたのであった。

◇「ワークシェアリング」って、少し前までは、「男性の正規雇用」と「女性の非正規雇用」との格差の場面でよく言及されてきたように思える。けれども、今は主にざっくりと「正規雇用」と「非正規雇用」という枠で語られる。いずれにしても、一人ひとりが抱える事情まで考えれば、「自分が漏れてしまっているのは冷遇」と感じる人が残っているということだ。
「労働意欲に見合った妥当な仕事」「能力に見合った妥当な報酬」について、労働人口のほとんどが満足を感じるユートピア社会を築くというのは、マルクス他が唱えた「共産主義」の実現並みに難しい。たとえ高額所得がある人でも、「自分らしさはこの仕事では発揮できない」と思う人もいるし、「忙しすぎて人間らしい生活が営めない」と思う人もいるからだ。
多くの人の欲望は、ちょっぴりだけする仕事で十二分の収入があって、世間の大方の尊敬も集められるということかもしれない。そして、好きなことをしていられる自由時間がたっぷりあるという状態。

しかし、これだけ社会が発達したはずの世のなかで、「住所が持てない」「食事する金がない」というレベルで訴える人が多いのはおかしい。ある集団において、ディストピアは実現してしまっているということだ。
政府を小さくして「格差社会」へ転換していくときに、底辺層がどういうことになってしまうのかを舵取りしていた人たちは、どこまでイメージしていたのだろうか。政治家は物語を描くだけでなく、物語の結末にまで責任を果たす気概がなければ、「福祉」は成り立たない。
そして、責められるべきは政治家だけでなく、政策にあまり関係なく、政治家のライフスタイルや演説のうまさにファンとして一票を投じていた有権者だったとも言える。
<この項つづく>
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中村びわ

Author:中村びわ
2004年から2011年まで書いてきた
「本のシャワーにさらす肌」
http://biwa.blogtribe.org/を、
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