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【No.1116】ミキモトで朝食をのつづき…12月25日

きのう、夕刻のニュースを見ているときに飛び込んできた飯島愛ちゃんの訃報を見ていて、パッとひらめいたのだけれど、愛ちゃんて、『ティファニーで朝食を』のホリー・ゴライトリーそっくりだよね。

どうでしょうか、村上春樹さん。

前の記事に貼った書影は文庫版だが、こちらは村上訳『ティファニーで朝食を』の単行本。ティファニー・カラーの水色があしらわれている。パントンかDICか、はたまたインクテックか、印刷インキの色は何番なのだろう。
ちなみに銀座にある本店前の大型クリスマス・ツリーが毎年話題になるミキモトのパッケージ類は最近、ミッドナイトブルー地の柄入り。その昔は薄めの茶色だった。
照れ臭いことであるが、私の左薬指にはまっている、そろそろ外しても良いのではないかと思える(笑)結婚指輪、これがティファニーのものなんですね。何の変哲もなさそうなリングだが、ほんの少し歪ませた部分がティファニーのアイデンティティたるアクセントになっている。
宝石ブランドもハンドバッグのブランドのように多少の流行りすたりはあるけれども、ティファニーとミキモトは揺るぎないイメージが確立されていて、セレブだけでなく庶民にも比較的普及している老舗ではないかと思える。

いや、ティファニーの話は良いのだ。
映画では、オードリー扮するホリーがティファニーの前でパンをかじっていたり、確か安物の指輪に名前を彫ってくれるので、さすがに一流の素敵なお店と感心したりするような場面が入っていたように記憶する。けれども、カポーティの原作では、ホリーがティファニーの近くに行くような場面はない(なかったはず)。
ホリーがアパート階上に住む男性から贈られるものがティファニーの店のものであるけれども、原作ではティファニーはホリーの話のなかで象徴的に語られるだけだ。

ホリー・ゴライトリーというヒロインのイメージ。これが話のかなめ。
カポーティが思い描いていた女性像とオードリーとではまるで違うということが、小説を読んでみるとよく分かる。カポーティがオードリーの起用を快く思っていなかったことを村上版のあとがきで今回初めて知ったが、オードリーの俗世間から隔たった雰囲気のある妖精的なまでの可憐さ、これは確かにカポーティの意図したホリーではない。
性的な面も含めての奔放さ、型破れ――それでいながら処女性を感じさせる清潔感、つまり処女のような娼婦性を持つことが1つ。そして、世ずれしていて、華やかな世界をうまく渡って行けそうな外見をしていて、実は不器用なまでに純粋なところがあることがもう1つ、それらがホリーの持ち味のように読める。
他の人がひょいと越えてしまえるハードルをいつまで経っても越えることができずにいる。それが自分自身を追い込んでいってしまうのだ。
この純粋さをカポーティは「野性」として描いている。「野性」にこだわったために、小説のなかでそれを示唆する小道具や台詞を配し、ニューヨークという都市、そして社交界では飼い馴らされないホリーの個性をあぶり出しているのである。

ではオードリーではなく、どの俳優だったら演じられるか。それを村上氏は問う。
オードリーの魅力で確立された映画イメージを思い浮かべないで考えるのは至難の技である。
しかし、もしモンローの目がぱっちりしていたら、あの淫蕩そうでいて清潔感のある肉感は良いのではないかと思える。
眼の力と言えば、ナスターシャ・キンスキーの野性味も捨て難い。
案外、私生活で不幸があったあと1年後ぐらいのやつれた感じだった宮沢りえなら可能だったかもしれないなどと考えていた。
そして、そこに飯島愛ちゃんの訃報。誰ならば演じられるのかというところから少し外れてしまうし、彼女の在り方をよくは知らないのであるが、芸能界の流儀に乗って適当に生きるをよしとしない感じ、ひどい修羅場もいろいろかいくぐってきたであろうに汚されてはいない感じなどがカポーティのホリーを彷彿とさせるのだ。

どうして「ミキモトで朝食を」にしたのか。
カルティエ、ヴァン・クリーフ&アーペル、ショーメ、そしてハリー・ウィンストン(このハリー・ウィンストンは2000年に銀座にも進出し、松嶋菜々子が反町隆史から婚約時に指輪を贈られたこともあり人気が出たが、12月初旬にパリ店で92億円が盗難されたことが記憶に新しい)。
名だたる世界の高級宝飾店に並び得る日本の宝飾店がミキモトであることも理由の1つになるが、そういった宝飾店が映画スターや芸能人など華やかな顧客に愛用されるのに対し、ミキモトが皇室をはじめとするどこかシックな貴人たちに愛用される印象が強いからだ。したがって、愛ちゃんとミキモトの間にはギャップがある。彼女が真珠を着こなせないことはないと思うけれども、夜明けの銀座でミキモトの前に立ち尽くす姿は絵になるだろう。

そういえば、ここに書いたカポーティもマリリン・モンローも、自分の体を痛めつけるようにして、原因や事情のはっきりとはしない謎めいた死を遂げたのであった。
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中村びわ

Author:中村びわ
2004年から2011年まで書いてきた
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http://biwa.blogtribe.org/を、
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