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【No.1114】夢をひとつだけ叶えてあげる(3)…12月21日

食事の用意ができると調理者が“A table!”と声を掛ける。ちょっと用事があるからと席に就かない者を待たずに食事は始められる。おまけにその人のために大皿料理は取り分けられることはなく、席に就いた者だけで平らげられてしまう。個人の都合に関係なく、社会には厳然としたルールがあるのだとフランスの子どもたちは食事を通して教えられる。
食事というのは気分よく進められるべき行為であるから、そこで粗相をすることで品格を疑われる。テーブルで交わす会話に食べ方も含め、食卓は小さな社会であり、マナーを通して品性が育てられて行く場所なのであろう。相手のペースを考えながら自分の食べ方を調整する、相手ににこやかに食べてもらうためのトピックスを選ぶ工夫をする。残念ながら、こうしたことにも我が家にはまったく自信がない。

こういった食育意識の話題があって、いざ調理が始まると、それに絡んだ話がいくつか提示された。それらも考えを深めて行くと面白そうな切り口であった。
例えば、ここ100年の間に「石炭→ガス→電気」と加熱の方法が変わったこと。徐々に便利になってきたということが言える。
次に、早く火を通したいのならば、たまねぎや芋を薄切りにして調理すれば良いのだが、食べるときの充実感を大切にするならば、厚めに切ったたまねぎや芋をじっくり十分に加熱して旨味を出すべきだということ。
今は圧力鍋はじめ、迅速に簡略に調理するための道具はいくつもあろう。計画消費と同じで、食を合理化していく手段だと言えよう。
もう1つ、味にパワーを出すならば、体には悪くても油や塩の量を増やしていけば良いということ。それに代わるものは何であろうか。

全体として、伝わってきたのは、調理に限定せず、材料の手配・貯蔵から食べ終わるまで、あるいは食器の片付けに至るまで、食に関係する工程すべてにかける「ひと手間」がおいしさにつながっていくのだということだ。
食べることが最終目的ではなく、手間をかけた余分がもたらす結果というものもあり、それを合理的に捨象してしまっては生活全体への恵みが半減してしまうということなのだろうか。
これは、教育や読書などにも通じるところがある。一見すると無駄のように思えることが、豊さにつながっていくのである。

始めの「夢をひとつだけ叶えてあげる」に戻れば、夢もおそらくあっさり叶えられてしまったのでは味わい、余韻が足りない。さんざんの紆余曲折ののち手にできる夢、もしかすると、紆余曲折のあとでは、もう叶えることすらどうでもよくなってしまったような夢にこそ、かみしめられるものがあるのかもしれない。
一皿の料理のように夢も、平らげてしまえば夢見る時間はついえてしまう。そのあとは再び、元の日常が始まる。新しい夢を求めながらの日常が始まるのである。
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中村びわ

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2004年から2011年まで書いてきた
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