スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【No.1388】本と人をめぐる雑記少々

◆江戸時代の「かわら版」の更新頻度を通り越し、上方の噂が奥州に伝わるぐらいの間を置いての更新。書くの好きなんだけど、「やること」「やりたいこと」多すぎ。

ツイッターで昨日、新たなフォローを足したせいなのだろう。しばらく前にネット上の話題となった、村上春樹新刊についたamazonレビュー「イカくさい」云々が取り上げられ、「それが面白いので思わず本を読みたくなった」というリンク付きのつぶやきがTL(タイムライン)に飛び込んでくる。

シニカルな笑い、ブラックな笑いは嫌いじゃない。だが、揚げ足取りに終始する人には、「ええかげんにしといた方がいいんじゃない」と言いたくなる。言いたくなる機会はリアル世界にたびたびあって、たいてい言わないで済ます。そして、自己分析のためにも、つぶやいてみたり、このような場に長々書いてみたりする。
(しかし、こっそり書いているつもりでも誰が読んでいるか分からないので、ネットはご用心。どうも仕事での共有メールボックスで私信を勝手に開いて読んだマナーのよろしくない人が、「びわ」アカウントを知り、知人にも「あの人、こんなこと書いているよ」と情報を流した様子。それに子どもの学校方面でも若干読まれている気配。まあ、無頓着なので、誰が見ていても平気なことを書くように多少は心がけて、あとは好き勝手に書き散らしているがな(^_^メ))

amazonのレビューに前から苦手意識があるのは、「揚げ足取り」がよく目につくから……。
「イカくさい」の人も、自分が非モテ(もてないこと)である点を「自虐ネタ」としながら揚げ足を取るというバランスで書いている。なかなか知能犯的テクニシャンで筆力のある人だ。うねり感のあるリズムで、読ませてしまう文章の書ける人。どこをいじれば、多くの人が面白がって読むのか、ツボをしっかり押さえている。うらやましい。
名の通った会社でのサラリーマン歴もあるライターか何かと拝察。学歴はGMARCH(学習院・明治・青山学院・立教・中央・法政)以上か。カルチュラルスタディーズがもたらす知性ではなく、テレビやネットからの情報収集に支えられた「知恵」の持ち主(「悪知恵」と書いていいものかどうか、少し迷う)。インテリが嫌いな人だろう。

揚げ足取りばかりして周囲の笑いを取る人って、これまで何人か見てきたけど、「やっぱり、それじゃあ、もてないよなあ」と思った。さわやかじゃないもんなあ。もてるためにさわやかさを気取るんじゃ、それもほめられたものではないけど。

揚げ足取りは、観察力があるからできる。妄想めいた想像力もあるからできる。そういう生き方もありだよね、とは思う。
ただ、どうだろう。本を読む、映画を観る、絵を鑑賞する、スポーツ観戦でもそうだ――オフの時間に「気分をすっきりさせたい」「できれば感動したい」という期待で対象に接するとき、はなから揚げ足を取ってやるぞという姿勢では損をしないか。
「自分の求めていることの『かけら』でも作り手(プレーヤー)が盛り込んでくれていないか」という姿勢で、私は対象に当たっていく。
だから多少、設定に物足りなさがあっても、文章が下手だなあと思っても、「かけら」に響き合うことができればよしとする。
「小遣いと時間をドブに捨てたような本」に出くわしたなら、私の場合はスルーだ。

◆「揚げ足取り⇒非モテ」の件を書いていて、リアル世界を思い描き、ひとつ考えたことには、人のことをやたら悪く言ってばかりの人って洞察力が欠如しているな……と。
悪い噂ばかり立てる人というのは、「自分にとって印象が悪い」「自分が気にくわない」「自分にとってうとましい」から、ある人を貶めようとする。つまり「自分の気分中心」なのだ。つまり「視点が限られていて、心が狭い」のだ。
ここに、自分自身や自分を取り巻く状況を少しでも客観的に眺められる力があったなら、どうか。
「こういう風に、人のことを悪く取ってばかりの私って、もしかしてネガティブ思考?」
「あの人は多忙だから、私に対する言葉が足りなかったんじゃないか」
「私にはさばけた調子で話してくれないけれど、あの人、目下の人にはくだけた調子でしゃべっているわ。私が苦手なのかしら」
などなど、「自分の気分中心」から離れることができ、試みに別の視点で考えてみることができるなら、人の悪口ってそうそう言えるものではない。

気分中心の人は、「気に入る/気に入らない」「好き/嫌い」が判断の中心。だから何かに対する見解を求められた際にも、その時の気分、過去の気分の記憶でしか話をしない。論拠となる具体例をいくつか挙げ、それゆえに何を評価し、何を課題とするかという説得力ある話し方ができない。

それが仕事であれ、遊びであれ、人と人が関わって何かに取り組もうという場合、気分屋さんに振り回されるというのは、なかなかに辛い。
「自己管理能力」という表現があるが、これは決して経営管理や自己啓発の分野だけで取り沙汰されることではなく、人が複数うごめく社会では、常に必要とされることなのだろう。
大義のために、この小さいイライラは抑えておこうか、相手の器がどうも小さいようだから、自分がビハインドを取って事を荒げないようにしておくかといった処世のためのスキルを、庶民は一生かけて身につけていくのだろう。

◆何か今日のエントリーは「ばあさん」くさい。それって、イカくささと似ているのか。
イカは焼くと香ばしい匂いがするから、とても好きだよ。
スポンサーサイト

テーマ : 感想
ジャンル : 小説・文学

プロフィール

中村びわ

Author:中村びわ
2004年から2011年まで書いてきた
「本のシャワーにさらす肌」
http://biwa.blogtribe.org/を、
こちらに引き継ぎます。

最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
最近のコメント
最近のトラックバック
RSSフィード
ブログ内検索
リンク
QRコード
QRコード
FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。