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【No.1372】ボールペンと紙だけで神の世界に分け入る人がいる


「恐れ入谷の鬼子母神」――よくぞ、こんなとんでもない漫画が描けるものだ。

ことし編纂1300年に当たる『古事記』――ほんとは、全国のホテルの部屋に『古事記』無償配布を敢行中の竹田恒泰氏の講義を聴きに行きたいところだが、いつも仕事とかち合っていけない。
そこで、『古事記』をボールペンで描いたという、それも『この世界の片隅に』『夕凪の街 桜の国』など、テーマが骨太の社会派作品で高く評価されたこうの史代さんの作品があるということに大きな期待を寄せた。その期待に応えて余りある、いや、余りありまくりの魅力的な漫画であった、『ぼおるぺん古事記(一)天の巻』『ぼおるぺん古事記(二)地の巻』(第三巻は11月下旬刊行予定)は……。

手に取れば、カバーと帯の紙の質感やら、金の箔押しのタイトルやら、惹起文句の文字組やらの凝り方に「装丁萌え」できる造本。
そして、第一巻の、本文に入る前の「前付」からほとばしるボールペンへの愛のキュートさに、いきなり、心をもっていかれてしまう。
先っちょにボールがついているからボールペン。そのペン先の玉と、国生みを支えた玉つき矛の縁を感じながら、画家はひたすら手を動かした。

漫画の背景には、よく地紋が使われているが、それはたいていスクリーントーンと言われる模様の入ったシールのような画材である。この漫画では、それは一切使われていない。背景の模様はすべて、手描き手描き。
おまけに髪の毛のように黒く塗りつぶす部分も、がーっと筆やペンで塗りつぶされることなく、丁寧に線が塗り重ねられている。

前付として閉じられた数葉には、びっしりと『古事記』原文の漢文が写されている。「陽」の気が漂ってくるような、乱れない愛くるしい文字だ。これからこの文章を心して絵に起こしていくという「みそぎ」の儀式のようにも取れる。

聖書でも神話でも、この世の始まりは退屈な記述が多く、聞きなれない神々や聖人の名が多いのに辟易させられる。ここを通り抜けなきゃ物語は始まらないと我慢強く読み進めていても、たいてい、その長い前置きにうんざりとして本を放置してしまうことになる。
この漫画では、聞きなれない神々の名は囲みに入れられ、読みやすくなるよう工夫されている。そして、神々は、時にしゃれっぽい姿で登場し、それぞれの個性を際立たせる印象的なキャラクターに造形されている。現代の風物や身の回り品を使い、楽しげに描かれている神もあり、意外性に刺激を与えられ退屈させられない。

「漫画だから楽しく」というだけではなく、素晴らしいのはメリハリがきいていることだ。
神話ならではの聖なる部分、劇的な展開の部分に作者ならではの「時間の解釈」「空間の解釈」がされ、詩的に場面が見せられるところがあって、それが『ぼおるぺん古事記』独特の感動をもたらす。
その詩情は、どこか『ガロ』のつげ義春、勝又進らに通じている。

だいたい、混沌としたこの世の始まりの最初の部分からして、細かな線だけで描き上げてしまっているのだ。
「五穀の種の誕生」場面のふうわりとした絵、八俣のおろちに飲ませる酒桶のユニークな配置など、ただの漢字の連なりの文章から、どれだけのイメージの羽ばたかせがあって着想を得て、絵に熟成させたのか、画家の脳内宇宙、小さな紙上の宇宙に敬意が尽きない。

読みやすさに配慮された目次のあらすじ、各ページの下部に小難しくなくレイアウトされた註や、作者なりの解釈・見解などにも有難い思いでいっぱいになった。
なかなか手の出ない古典を、こんなに工夫いっぱいで届けてくれて、本当に有難うございました。




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テーマ : 漫画
ジャンル : アニメ・コミック

【No.1371】夜毎に紙の頁の上で




 都市の一角を襲った災いの原因をさぐっていけば、一組の男女の不義がある。そのような情報を、此岸の者ならぬ異人から得た高徳の師は、災禍を鎮めるべく名のり出て懺悔せよと懇願する。しかし、応じる者は誰とていない。
 仕方なく、さらに異人の助けを借り、犯人の特定をこころみる。そしていざ、いったい誰なのか種明かしがされると、正体は石橋の下でからみ合う人間ならざるものというのだから、何ともまあ、しょっぱなから人を喰った調子。
 レオ・ペルッツ『夜毎に石の橋の下で』は以下、「落ち」のある滑稽譚めいた章がつづいて行く。ボケあって突っ込みもあり……。

 訳者は、異端の文学、魔術・幻妖・神秘といった地下文化等にも通暁した種村季弘と同じイニシャルを持つ。それは単なる偶然なのか。かの独文学者さながらの小気味よさ・いさぎよさで登場人物たちの掛け合いは再現される。
 加えてNachts unter der Steinernen Bruckeを「夜毎に石の橋の下で」とおもむきたっぷりの言葉に置き換えたセンスたるや、どうだろう。
 幻想文学なるものを偏愛する人の霊魂はやはり不滅。種村氏の肉体で借りぐらしをしていた粋な江戸弁の翻訳魂(ほにゃくこん)は今、ネットやマーケットという魔界迷宮で暗躍する謎めいた人物「プヒプヒ」氏の肉体に宿り、忘れられかけたユダヤ系作家の再隆に心血を注ぐ。

 各章ごとにほぼ閉じられる小さな物語の時代は、おとなしく時系列には並ばず、あちらの時代へ、こちらの時代へと踊り回る。ユダヤの大富豪マイスルが生まれた1528年から神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世が没した1612年までの100年近く、黄金のプラハと呼ばれる都市の、正に黄金期に順不同に散りばめられたエピソード群なのである。
 彼ら実在した人物ふたりを主要人物として登場させ、錬金術めいた構成力の導く先に、イマジネーションの極みと言える不思議な「愛のかたち」を現出させる。
 言うまでもなく愛を扱った小説は古今東西地上にあふれ返っているが、「天使アサエル」という終盤の章で明らかにされる、この奇異な愛についての記述には「何と、とんでもない想像力!」とふるえが走った。次いで陶然と物語から立ち昇る「香」のけむりに酔う。

 この奇異な愛についての記述こそが、それまで繰り広げられていたユーモラスな小説のつづれを悲運な愛の物語、際涯に追い詰められた孤独な人びとの彷徨の物語に転化させてしまったのであった。

 「石の橋」は小さな建造物ではない。聖人たちの像が数十メートルごと左右の欄干に並ぶ、幅広の大通りのようなカレル橋である。それはそれは見事なつくりの橋だ。あの特別な橋の下でなら、どのような不思議が起こっても違和感はない。だが、魑魅魍魎の跋扈を超えた不思議が、一冊の本の中のごく短い章、そこの数行に封じ込められ、60年の時を経て、わが小さな部屋に届けられるなど、世の中は何という奇跡に満ちたものであろうか。幻想は時空を突き抜けた魂の交わりの中でこそ息づくのである。

テーマ : オススメ本!!
ジャンル : 本・雑誌

プロフィール

Author:中村びわ
2004年から2011年まで書いてきた
「本のシャワーにさらす肌」
http://biwa.blogtribe.org/を、
こちらに引き継ぎます。

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