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【No.1357】繁殖する人類


ツイッターで、マーセル・セロー『極北』を買った日に、「少し読むつもりでひと息に6分の1を読みふけった」と書いたのが1週間前。その本を、まだ読み終えていない。残りが4分の1ほど。

後半になって、いろいろな設定が明らかになってくるにつれ、感じさせられること、考えさせられることが多くなり、少し読んでは思いを巡らせ、また少し読み進めては思いを巡らせる。それを繰り返す。前に戻って読み直したりもしている。
決して読みにくい内容ではない。翻訳も村上春樹調でなく(おそらくという話)、誰が訳しているのかなど忘れてしまう虚構世界が広がっていく。
ただ、フィクションの内容が持つ、あまりの深みに頭の中の処理が追っつかないのである。それで、なかなか進まない。
 
きょうは、一つ合点の行くことがあった。
「環境問題」「エネルギー問題」「食料問題」などを、これまで私は社会問題だと考えてきたけれど、そうではなく、それらは皆、人口爆発、つまり人類の異常繁殖という生物的問題がもたらす随伴的結果なのではないか……ということ。
人間は理性のある動物で、他の動物と異なる点は「意思決定」だ。組織と個人を考える社会科学を学んだ時代から前提として、そのように教えられ、捉えてきたけれど、昨今のアフリカやらインドのような新興国やらの人口増加は、そういう人間論の外にある気がしてきた。

地球温暖化やエネルギー問題どころか避妊の知識すら教育機関で学ぶ機会がもたらされないまま、初潮を迎えたばかりのような少女たちが子をはらませられてしまうのだと聞く。
ジョイセフというNGOのこちらのページに詳しいが、途上国では年間3億5000万人が望まない妊娠をしているそう。それ以外にも、たとえ正式な夫婦だとしても、納得いく家族計画の外での妊娠があることだろう。
(ジョイセフの活動に注目していることは以前にも、つぶやいた)

便利で快適な生活の追求という、格差社会の富裕層の欲望、そして途上国の男性たちの性欲。理性の「たが」の外れたその2つの狂った欲望が、理性によるコントロールを失い、生物の悲しい性(さが)として地球上の様々な問題の引き金となっている。
そのような構図が『極北』というフィクションから透けて見える気がした。
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【No.1356】明日に架ける言葉

何やら大仰な見出しをつけて書き始め、それに見合う内容にできるかどうか心もとないけれど……。

黄金週間初日の28日、一年がかりで支援していく子どもたち向け事業のオリエンテーションであった。
全体の大まかな流れは引き継ぎをしてもらえたけれど、細かな一つひとつの作業に落とし込まれたとき何が何だか分からない部分もあり、昨夜は準備に追われた。今朝も勤務先に着くなり、準備の詰めが甘い部分が気になってバタバタしてしまった。クールにこなしていきたいものだから、「カッコ悪い感」に自己嫌悪。

もう少しコンパクトなものならば、全容を頭に描き、いろいろなところに自分ならではの工夫を埋め込み(たとえそれが自己満足に過ぎないにせよ)、自分で上げたハードルに向かって着実に貫徹を目指していける。しかし、これに限ってはパートナーもいるし、自分に都合良いペースだけで進めていけるものでもないため、カタルシスにはもっていきにくい。

それでも、お子さん相手の仕事は、ちょっとしたひとときにも「明日につなげられた」と実感できる瞬間が訪れる。
「転校してきたばかりなんです」と話をしてくれた親御さんといっしょだったお子さんに、「それじゃ、学校のほかにも、ここでお友だち作れるね。お友だち増やそうね」ととっさに声をかけると、雲から晴れ間がのぞいたような愛らしい笑顔が広がった。

「転校してきたばかりなんです」と言われ、無意識に「それは大変ですね」なんて言葉が口をついて出てこないで良かったと思った。
何かの拍子に出てくる一言は、そこに至るまでの人の歩みを集約することがある。

オフィスに戻り、午後、同じような事業を担当している同僚と話をしていて、お互いに転勤族だったことが分かった。「後になってみると豊かな経験だけれど、転校するって友だちや好きな人と別れるのが辛いし、何気なくいじめられることもあるよね」という流れになり、「そうだ。自分には、友だちを早く増やしたいと実感した体験があったのだったな」と思い出した。
それに加え、ここ10年ばかり、絵本の読みきかせをしてきた経験も大きい。「そう言われたら、こう切り返す」というような丁々発止の局面も、おはなし会というパフォーマンスの中では訪れるのだ。

新しい職場は4人の島で、自分も含め、皆が相当にキャラが濃い。
最初は、こんなに濃い人同士で角のぶつかり合いのようにならないかと心配していたが、それぞれに「趣味」「志向」がはっきりしているので話を聞いていてとても面白く、洒落や冗談もよく飛んでいる。まったく違う仕事をしているけれど、「困ったら助け合おう」「曲がりなりにも我々は指導職なのだから、人聞きの悪いことを言うのはやめよう」などと声かけ合って過ごせる環境がとても有難い。
「ここ」に至るまでの、それぞれの多様な歩みを尊重し合いながら、それぞれの業務をうまくこなしていくためのルールを皆で形成しつつあるのだろうか。
自分自身もまた、「ここで友だちを作る。友だちを増やす」という思いがどこかにあるから、とっさにお子さんに、あのような明日に架ける言葉が飛び出してきたのかもしれない。

【No.1355】災害の世紀の入口


岸本佐知子・編訳『居心地の悪い部屋』(角川書店)といっしょに、左側の『人はなぜ逃げ遅れるのか』(集英社新書)という本を買ってきていた。それを今日から少し読み始める。
2004年1月に出たものだが、私が入手したのは2011年4月の8刷。東日本大震災の影響で書店フェアに並べられたこともあるのだろう、ロングセラー化しているようである。

著者の広瀬弘忠氏は1942年生まれ、東京大学文学部心理学科卒、東京女子大文理学部教授で、専門が「災害心理学」。右側が近著『大災害の世紀を生き抜く』で、これも集英社新書。他の版元からの著書も多い。

全体の15分の1も読んでいないのに、ちょっとここにメモしておこうという気になったのは、先般読んだアン・マイクルズの小説『冬の眠り』(早川書房)に出てきたアスワン・ハイ・ダムについての記述が、プロローグでいきなり「人がつくり出す災害」の例として出てきたからだ。そして、それが原子力発電所の問題、科学技術発展の随伴的結果といったところへ重なると受け止めたからだ。

以下引用――この引用だけで終わりにしてしまう今日のメモ。
(ヨコ書きで引用するに当たり、漢数字を数字に変えています。長い引用で申し訳ありませんが、読みやすい文章だということが伝わり、読んでみよう思う人が出てくるといいな……と思いました)

“エジプトはナイルのたまもの”と言われる。古代エジプト文明は、季節的に氾濫をくりかえすナイル河が、上流からもたらす肥沃な土壌の上に繁栄した農業文明であった。紀元前の数千年も前から、ナイル河畔では、7月から11月にかけての増水期になると溜池に水をひき、有機質に富んだ泥土を沈殿させ、その上に小麦などを蒔いていたのである。ナイル河の激しい増水は、恩恵をもたらすことはあっても、災害ではなかったのだ。
 いつの頃からか、人びとの生活が農業だけではなく、商業、貿易、そして工業に依存するようになるにつれて、人口は増えて稠密になり、食料の増産が必要となった。そして、ナイルの氾濫原にも多くの人びとが定住するようになった。すると、増水は恩恵だけではなく災害にも変わったのである。

[中略]
1970年に完成したアスワン・ハイ・ダムは、このような思想のひとつの帰結であった。洪水という災害を防ぎ、農業のための灌漑用水の確保と、工業化に必要な電力を産みだすための自然改造だった。その結果はどうだっただろうか。広大な不毛の土地が耕地として利用可能になり、小麦や綿花の作付け面積は拡大した。また、水力発電で産みだされた電力は、社会生活や経済発展に役立っている。たがその反面で、ナイルが毎年大量に運んできていた肥沃な泥土はダム湖に堆積して、ダムそのものを危うくしたばかりか、下流域にナイルのたまものである天然の肥料をもたらさなくなった。
(P22-24)

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【No.1354】悩ましい夏

カフカをはじめとする不条理の物語を面白がって読んできたし、長年、人と仕事をしてきた中で、「何でこういう目に遭わないといけなのか」と、理屈や知性で説明のつかないところで不条理な出来事に巻き込まれたりしてきたけれど、今、「橋下市長V.S.関西財界」の構図に焦点の当たっている「脱原発V.S.原発再稼働」という社会全体が直面している課題は、何という不条理な悩ましさだろう。

マスコミがそのように報道するから「二者のいずれか」という争いの様相を呈しており、国民がどちらを応援するかという流れになってしまっている。これは本来、二者択一ではなく、皆で必死に別の知恵を出していくべき問題。
しかし、大半の人はうっすら気がついていて、「この夏」「来年の夏」のような近々の解決策は待ったなしの状態であるものの、有効な解決策を、どのリーダーも科学者も技術者も、それから賢者も、出し得ない。

日本全体で一教団化し、「太古に還っていくよ」と、音頭を取るわけにはいかない。

財界の人たちだって、家に戻り、普通のおじさん・おばさんという立場だけで許される人生なら、「脱原発」を支持する方に回るのではないか。
幸いにして、私は普通のおばさんでいられる立場なので、「そりゃあ、脱原発に決まっている」と発言できる。結構なエネルギーを日々、消費しているくせに……。

ここのところ大手の電機メーカーを中心に、規模の大きな人員削減が報道されている。
高品質の日本のモノが売れなくなってきていたところに、東日本大震災の被害があり、タイの洪水で工場が被害を受けたり、円高で利益が目減りしたり、メーカーは満身創痍だ。新興国へ原発の技術移転をしていく動きも、矛先が鈍らざるを得ない。
当然のことながら、メーカーのリストラは、そこにつながっている人々の生活も危機に追いやる。それは、下請けの部品製造業者、運搬業者に留まらない。原発のある地元も同様で、飲食店や宿泊施設、日用雑貨の店、タクシー、清掃業、クリーニング業といったところにも響いてくるのが、よく想像できる。

企業がダメになっていくことは、ここまで築き上げられてきた日本の産業自体がダメになっていくことになるし、それに伴って、何人もの生活が脅かされていく。さらに言うなら、これから社会に出て行こうとする若者たちの就業機会も奪ってしまうことになる。

橋下氏とて、回り回って税収がどんどん下落していけば、どうなると考えているのか。
高い所得を保障された中高年の役人やら、OB・OGたちの年金を考えれば、行政には手をつけるべき部分が多いと思うが、「人件費削減」として実際に行われるのは、新規採用を見合わせ、能力ややる気の期待できる若年層の雇用を絞っていくことであり、そういう新人の雇用を「非常勤」という官製プアで補っていくことだ。つまり、晩婚化・少子化がさらに加速していってしまう。
今は、「官製プア」も民間のパート・非常勤も、私のような主婦層が多くいて、幸いに彼女たちはバブル期に企業研修を受けており、40代でも50代でも、気とカンを利かせて働けてしまうという、時代の「あだ花」的な緩衝材のような層である。そこが実は、息子や娘たちの雇用を微妙に奪っているのかもしれない。

夏の電力不足で逼迫するのは産業界だけではない。昨夏、私も間近で経験したことだが、公共施設の午後休館、冷房温度の調整が必要とされる。
エアコンが家にないので、あるいは家にあっても電気代がかかるので公共施設に涼を取りにくるという年金生活者の健康が心配されるところだ。そういう場所に集まって友だちと会ったり遊んだりという子ども・若者の大切なひとときを奪うことにもつながる。

東京電力は火力で手当てできたようだけれど、関西電力は火力で手当てできないのか。できないから大騒ぎになっていると思うけれど、ちょっと調べてみよう。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

プロフィール

中村びわ

Author:中村びわ
2004年から2011年まで書いてきた
「本のシャワーにさらす肌」
http://biwa.blogtribe.org/を、
こちらに引き継ぎます。

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