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【No.1353】花をたむける

再びアン・マイクルズ『冬の眠り』(早川書房)より。

恐ろしいことが起きた場所に花を置く。みんなこれを本能的にやる。交通事故が起きたところとか、誰かが射殺された建物の前とか。それは死んだ人が眠っている墓に花を手向けるのとはまた違う。同じ花でも違うんだ。恐ろしい死に方をした人がいると、いつの間にか花束が現れる。それは暴力的な傷の上や、無垢の神経が最後の痙攣をした後で動かなくなった場所に無垢のしるしを残そうとする必死の本能だ。ドイツ軍による占領が終わった後、雪の積もった廃墟で一番最初に商売を始めた露天商は、花屋だった。
[中略]
でも彼らはこの単純明快な事実を指摘しなかった。墓には花が必要だし、人が恐ろしい死に方をした場所には花が必要だということを。花こそが、まず最初に必要とされたものなんだ。パンよりも前に。言葉よりもずっと前に。
(P240/黒原敏行・訳)


あまりにも長く引用するのは、著者たちにも出版社にも申し訳ないので、無理に中略にした。そこには、悲劇の起こった場所で商売をする花屋について、くだらないことを書いたりしゃべったりするジャーナリストへの批判的な記述がある。

商う花さえも流されてしまったり土にうずもれてしまったりした場所で、「無垢のしるし」に、ただ合わされたであろう手、閉じられたであろうまぶた。何とか持ち出された楽器で、捧げられた音楽もある。
「せめて人を送る野の花でもあってくれれば」という思いとともに……。
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【No.1352】喪失の意味と理由を問い続ける人へ

カナダの作家アン・マイクルズ『冬の眠り』(早川書房)に打ち震わされた。

アスワン・ハイ・ダム建設によって敢行された3200年の歴史を持つ神殿の移築。占領の歴史を繰り返しながら肥沃な土と川の恵みにより独自文化を育んできたヌビアという土地の水没。セント・ローレンス海路と人工湖建設の犠牲となった村々の住居や農場、商工業施設、森林、墓地の消失。第二次世界大戦でがれきの山と化したワルシャワ旧市街の復興。

歴史の中で人の手によって蹂躙された土地が、人のために復元され再建されていくという出来事が、人類に背負わされた苦難のごとく重ね合わされ書かれていく。
その苦難を意識させられつつ生きるのは、立て続く悲しい出来事によって夫婦関係を変容させられてしまった一組の男女、そして、彼らと深い関わりを持つ人々だ。

1944年の3月10日に東京下町の工場と住居が大空襲で焼き払われた。2011年の3月11日に起きた東日本大震災そのものは自然災害ではあるが、それに続く原子力発電所の事故は人災だと言える。
季節はやがて爛漫となる春を迎えるこの時ではあるけれど、過去の日本を振り返れば「人の手」によって蹂躙された土地のために生活を変えられた人の数はあまりに多い。
「復元」「再建」が、限りある個人の人生にとって、大きな犠牲をどれだけ埋め合わせてくれるほどのものなのか。答えるまでもなく、答を出すものでもなく、痛みを内包したまま、人は欠落を「失ったもの」の存在感と受け止めて行くのであろう。

「失われた土地や亡くなった人たちのことを忘れずに思い出し、この出来事を教訓にして……」と、犠牲が社会や世の中、ひいては歴史の教えになるのだといくら説明されたとしても、大切な存在を失った人の哀しみは聞き分けよく癒やされやしない。
苦しみ抜きながら新しいスタートを切り、新しい生活を始められたとしても、意識ある限り、失われた大切な存在と過ごせたはずの時間について魂は問いを発し続ける。
「あの場所でずっと暮らしていられたら」「あの人がそばにいてくれたら」……と。
そして「自分が変わらずにいられたら」……と。
自分の変容は、加齢のゆるやかさや日常的な生活の変化がもたらすものと違って、容易に納得いくものではないはずだ。

『冬の眠り』は、上記のような「魂の問い」にじっくり向き合い、深い思索を経て書き起こされた小説だ。だから、人の思索の軌跡を追うのが得意ではない人には読みにくいかもしれない。薦められない。
失ったもの、置き去りにせざるを得なかったもの等について、その意味や重みを振り返り、自分の今との折り合いをよく考える人にとっては、思索のよりどころや羅針盤となる言葉をふんだんに授けてもらえる。

例えば、「きずな」という語が含まれる次のような一節を引いてみる。
日々のあいさつのようなお決まりの言葉として「きずな」が消費されることもある今、「きずな」が指し示す内容と、それがもたらす価値について、確かに私たちは考え直さないといけないのかもしれない。

連帯のきずなにはいろいろな程度がある。職を抛(なげう)つ覚悟で守るきずな。命を危険にさらしても守るきずな。仲間が命をかけたから命をかけるきずなもある。卑怯者になる恥と孤独に耐えられないからだ。助けが必要な時、助けてくれる友。助けが必要になる前に、助けてくれる友。
俺たちは互いの言葉の価値を学ばなければならない。それが何を犠牲にするかを。
(P233/黒原敏行・訳)

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【No.1351】幸福感

先ほど、夕飯作りに入る前、30分ばかり本を読んでいた。一昨日買ってきた美術に関する新書だ。
読んでいる間は、「そうか、そうなのか」「そうか、そうだよね」と、知らなかったことを知った喜び、自分では言葉で表現し切れていなかったことを確認できた喜びで夢中でいた。

本を置き、立ち働き始め、手を動かしている間に、書き手の精神性の深さをつくづく素敵なことだと感じた。そして、その素敵さを何回も思い起こしているうち、「ああ、そういうものに出会えることが、やはり自分の大切な幸福の一つなのだ」と当たり前のことに気づいた。

音楽を聴いたり絵を観たり、そういう芸術に触れた時の感動は、一瞬の、たちまちのうちに訪れる。「雷に打たれる」という表現のように……。
しかし、言葉がもたらす感動というのは、電撃的というのではなく、じんわりと訪れる。たぶん、「感じる」だけではなく「理解」という過程を経る分、時間がかかるのだろう。

書き手の精神性が達した深みに、後追いで、自分も引き下ろされていく。
「ああ、あの人が来ていたのは、この場所だったのか」という気づきが、その時になって訪れる。
心の奥の秘匿された場所を、やわらかなぬくもりあるものでくるまれたような心地良さに浸る。

言葉の技による、そのような体験が自分にとっての幸福感の元なのだ。
だから、心して、そういう機会を作る努力をしなければ、自分は枯れていくだけなのだと思えた。
プロフィール

Author:中村びわ
2004年から2011年まで書いてきた
「本のシャワーにさらす肌」
http://biwa.blogtribe.org/を、
こちらに引き継ぎます。

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