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【No.1350】平穏ご無事で

本当は運動もすべきなのだが、きょうは、どこへも出かけず、掃除をして洗濯をたくさんして、ごはんの進むおかずを作って、幸いにも上質な小説を少し読み進め、それも、おいしいミルクティーとサブレとともにあった午後のひとときで、精神の安定を取り戻すことができた一日だった。

最近は、デパ地下のお惣菜に世話になることも少なくない。それはそれで、「おいしいものが食べられるから恵まれているじゃないか」と悪くない気がするけれど、「作ること」がおろそかにされない姿勢が人の生活には必要。そして作ったものを分かち合える相手がいることもまた、大切なことなのだろう。
そう書くと、とても残酷だ。なぜなら、ひとり暮らしの人が大勢いる世の中なのだから……。家族がいたにしても問題を抱えている場合もある。
たぶん、だから「いいね!」というのが流行る。上場までする。
作った料理を「盛りつけがうまくて、おいしそうだね!」と具体的にほめられなくても、ネイルサロンでかわいくしてきた爪を「ビーズがきらきらして、すてきだね!」と具体的にうらやましがられないでも、「いいね!」で十分なのだ。願わくは、その数が増えていってくれれば……。

自分のしたこと、気を遣ったこと、働いたこと、よかれと思ってやったことに対し、反応が期待できないのが、すなわち「無縁」ということだ。何らかの形で認められ、社会の片隅にでも、居心地のいい自分なりの場所が持てることが、まともな暮らし、平穏無事な暮らしを支えてくれる。それを見失ったら精神のバランスが崩れ、死にたくだってなってしまうのは自然なことだ。
何か当たり前のつまらないことばかり書き出してしまった気がするが、構わずに続けてみる。

しかし、他者との比較の中で「よそのお父さんより収入の低いお父さん」「よその嫁より器量の悪い嫁」「よその子より勉強も運動も苦手な子」「よその職場より雰囲気の悪い職場」等、見回してしまえば、「いいね!」と単純に認められない属性ばかりが、多くの人を苦しめる。おそらくそれは、情報過多なこの時代に、幸福になる情報ばかりを探せないためだろう。情報は、自分にとって余計なものも、目にしたくないものも、やたらめったらとにかく流されてくる。
周囲にいる人のことも、情報の集合体のようにして私たちは分析してやしないか。「音楽は、こういうジャンルが好き」「出身は、割におしゃれな地方都市」「立ち食いそば屋に気軽に誘える」といった具合。そういう情報を確認した上で、自分に「いいね!」を出してくれそうな人なのかどうなのかを探る。そこを極めて慎重に探るから、「いいね!」がすぐに求められそうにない人だと付き合いを敬遠し、自分の世界に戻ってしまう。

生活の中から、いらない情報を洗い流していくには、まず清濁混ざった情報の受け入れを止めることが必要なのかもしれない。そして、高潔で揺るぎない意志の産物として作り出された「作品」「研究成果」等と、じっくり対話していければ、精神は本来の平静を取り戻していくのかもしれない。
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テーマ : 日記
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【No.1349】なぜ理想とする大人が周囲にいなくなったのか

2002年9月に出た、やや古い本なのだけれど、図書館で仕事の資料を探していて目につき、きょうの帰り道に少しつまみ読みしてみた。
南本長穂・伴 恒信/編著『子ども支援の教育社会学』である。

地域社会が崩壊し、子どもたちの身近に「将来ああいう大人になりたいな」と思える理想モデルが見つけにくくなってしまってきている。その問題については、別の教育書で読んだり、自分の体験を振り返ったりで認識があった。

絶えず進歩変容する機器の取り扱いに関しては、経験や努力よりも若い柔軟な適応力と勘のほうが役に立つのである。今日の情報化においては、不器用な大人は適応の早い子どもに馬鹿にされ、知識技量ともにその多さによって尊敬されることはない。また、情報化は単に多くの量の情報や知識をもたらすばかりでなく、完膚無きまでの民主化という副産物をももたらす。[中略]権力を握った大人がいかに堕落しやすいものか、厳しい社会情勢下で大企業が破綻し、善良なサラリーマンがいかに簡単に解雇・リストラされていくか、を知らされる子どもたちに対し「将来に夢をもって努力せよ」「大人を尊敬せよ」と教えることができるであろうか。(P16)

なるほど。比較するものでもないが、「地域コミュニティ崩壊」より「情報化」という環境変化の方が根の深い問題なのかと気づかされる。

子育ての日本的特徴「母性尊重」から派生した「母親が主に担う子育て」の問題点が書かれたあたりでは、「育てた子どもの世間的評価がとりもなおさず自分の評価となってしまうのである」(P30)という記述に深くうなずく。塾や習いごと探しに必死になったり、受験に入れ込んだりする、自分を含めた母親たちの群像を思い描く。

母親が何でも先回りして子どもの世話をやくと、子どもは精神的な自立の機会を失い、いつまでも幼児性を持続させたままとなる。そうした中で、母親は子どもの役に立っているという充実感をいつまでももち続け、反対に子どもは拘束され、身動きのとれない状態となっていく。(P31)

あたたた……。
「そういうことには、しばらく前から気づいている」と、言い訳したいような内容も出てきた。

少子化によって一個の子どもの価値が高まると、お手伝いのような労働から解放される。そして、過剰なエサのように小遣いが与えられる。
その小遣いが狙われ、子どもであっても「消費者」として扱われるようになる。それを巡っての指摘も「なるほど」と思えるものが多い。消費社会の裾野が広がる風潮がもたらす「ポピュリズム(大衆迎合主義)」「プライバタイゼーション(公より私が優先されること)」の問題も指摘されている。

消費者としてターゲット化された子どもには情報が垂れ流される。そこには、大人と子どもの境界がなくなる。親たちは子どもとつながるのに商品という媒体を介することも多い。確かに、「便利グッズ」と紹介されるベビーカーにだっこひも、おもちゃ、そして絵本。
また、子どもが行動の判断基準を身につけないままに欲望が刺激され、欲望が作り上げられてしまう問題も深刻だ。
学校もまた、少子化での生き残りをかけて市場化された。人気のある学校は、進学塾やマスコミが作り出す。受験や学歴も消費の対象となったという指摘にも、大いに思い当たる。

あと半分、つまみ読みしながら、情報の洪水にさらされる子どもの問題について、理解を深めたい。

テーマ : 読んだ本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

【No.1348】破滅的なほど耽美



2003年に出た本の新装版『昭和美少年手帖』――題だけ聞くと、「何だ? ジャニーズ事務所事典かな」と思うけれど、弥生美術館の学芸員さんがまとめた高畠華宵、山口将吉郎、伊藤彦造、山川惣治、石原豪人らが描いた、少年・少女雑誌の美少年の挿絵集。

高畠華宵の柱に縄で縛りつけられた美少年のような被虐のエロス、山口将吉郎の白馬にまたがった少年武士たちりのりりしさ、伊藤彦造の「豹(ジャガー)の眼」の細密な線が構成する冒険少年の妖しさ、石原豪人の好む星宿る瞳・艶めいた唇など、「やばいっ!」「これは、やばいっ!」「やばすぎる!」という感じでおののきながら眺める。
作曲家の青島広志氏が「少年まんがに登場した美少年」というコラムを寄稿している。
「鼻」「顎の線」「目」などパーツを、平安の昔から現代に至るまで抽出して並べ、変化を見せているページも面白い。

テーマ : 読んだ本の紹介
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【No.1347】だが、どうして この びょうきを なおした ものか

先ほどお弁当のブログに今日の3食を書き出していた。

うちの食材は、週1回、らでぃっしゅぼーやの宅配を頼んでいたり、2ヶ月に1回、庄内から10キロ分の米を届けてもらったりするが、自宅近くや勤め先帰りにいろいろなスーパーや八百屋さんなどで購入することも多い。
宅配もリアル店での買い物も、野菜の産地が千葉、群馬、栃木、埼玉、茨城といった近郊が多いので、土壌や水が原発事故で影響を受けたであろうことを考える。

子どもが乳幼児だったら、らでぃっしゅで手配可能な西日本が産地のお高めの野菜を買うかもしれないが、高校1年生ということで、何となく「手ぬるく」なっている。

原発事故ではなく、1954年3月1日にビキニ環礁で行われた水爆実験の「死の灰」を浴びたマグロ漁船「第5福竜丸」の事件にインスパイアされて書かれたのが、岩波書店で編集をしながら同人誌に童話を発表していた、いぬいとみこ『トビウオのぼうやはびょうきです』である。

父が仲間と出かけて行って、母親と2人で過ごしていたトビウオぼうやは、サンゴの林の先で、朝だというのに突然真っ赤に染まった遠くの空を見て、きれいだと思う。そのとき、ずずずずずーんと大きな音が響いてくる。やがて空は元通り青くなるけれど、空から白いふわふわの粉が降り始める。
トビウオぼうやは、おもしろがって、粉降る海の上を飛んであるくのだった。

真夜中、近所のトビウオのおばさんがやってきて、自分たちの夫が爆発で死んだという噂を聞きつけ、伝えにくる。
悪いことはそれだけではなく、それから毎日毎日、魚の死体が流れてくるのだった。

ある日、トビウオぼうやが頭痛を訴える。母親は、ウミヘビの医者、ヒトデの病院、タツノオトシゴの薬屋を訪ねていくが、どこへ行っても、ぼうやの病気を治してくれるところはない。
やせていくぼうやは、母親を気遣い、「よくなったら、おとうちゃんを さがしに いって あげるよ」と言う。
物語は、トビウオの小さいぼうやを助けてやれる人はいないでしょうかという問いかけで終わる。

このお話は有名で、教科書にも取り上げられたこともあったのではなかったか。反核を訴える絵本として有名で、80刷ぐらいは行っているはず。

何かとても遠いところの話のように感じていたのだが、今読むと本当に怖い。
「今、すぐに健康に影響が出るものではない」というような表現で、食べ物の放射線量をめぐる心配についてはかわされ、報道もほとんどされなくなってきたけれど……。
ゆっくりと進行している極めて深刻な事態について、「助けてやれる人」はいないのだろうと考えると、本当に怖い。

テーマ : 絵本
ジャンル : 本・雑誌

【No.1346】「これって、あれだよね」みたいな。


今月初めに買って読んで、「面白いなあ」と思ったものの、その面白さがどういうものなのかを表す力量が自分にはないと感じ、そのままにしていた。

面白さの一つは、いろいろな「実験」「実験的なこと」がされていて、一部が分かったような気になれるところ。

例えば、「道化師」は『道化師をごらん!』という小説、蝶はコレクション趣味、物語に出てくる「友幸友幸」という名前は『ロリータ』のハンバート・ハンバートのよう、それにモントルー・パレス・ホテルとくれば、かの人の終焉の地。おまけに物語の最後の方に、当のその人らしき老人が出てきて、詰めチェスの話をしている。文章にいろいろな言葉の仕掛けが意識されているのも、かの人の強烈な文体の特徴。

名前を英語で綴れば、頭もしっぽも「V」のウラジミール・ナボコフ。ロシアから亡命したベルリンで物を書いていた時代には、「V・シーリン」というペンネームであったし、著書には必ず「ヴェーラに」という風に捧げる言葉があり、その妻の名の頭文字も「V」。
だから、『道化師の蝶』のジャケットの蝶の羽のモザイクを見ていると、「VVV……」とVで埋め尽くされているようにも見えてくる。
版元の講談社がサービスよく、文芸雑誌「群像」に掲載した沼野充義ら3人の創作合評をアップしてくれていて、そこに、言語実験としての小説の出来が評価されている。
言語の面でどういう実験がされているかについて、ウリポのレーモン・クノーやら、その影響下に書かれた筒井康隆『残像に口紅を』を読んで知ってはいても、他にどういうものがあるのか、ほとんど知らない。
現代小説で、文字のレイアウトに凝ったタイポグラフィを用いたものは何冊か読んでいるが、この『道化師の蝶』は、タイポグラフィではなく、書かれたテキストの内容自体がなかなかの実験になっているようなのだ。

実験がどうなされているのか、よく分からない。しかし、ひゅうっと感じたのは、吉田戦車『伝染るんです。』の単行本第1巻。装丁家の祖父江慎氏と仕掛けたワナだ。
『道化師の蝶』には、例えば途方もないデブっちょキャラ男性で書かれていた設定が、後になって女性になってしまうという、言ってみれば「破綻」がある。そういうところに着目すると、わざと誤植を混ぜたり、わざと乱丁本にしたりという『伝染るんです。』の実験の方が分かりやすく挑戦的で、「前衛」などという代物ではなく自然体でラディカルだよねとも思えてくる。
言語にこだわって、ああいうワナを仕掛けられたら、確かに文学も「前衛」で守っていてどうすると問われず、過激に攻めているなと感心されることだろう。

『伝染るんです。』の装丁コンセプトについては、こちらのサイトに詳しい。

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【No.1345】人が人としてあること


トルストイの『戦争と平和』という大作の印象もあって、「戦争」の対概念のようにして「平和」を長く認識してきた。私が学校教育を受けていた時代には、軍国主義やヒロシマ・ナガサキを繰り返してはいけないということから、「戦争反対」が主眼の平和教育が全国的な流れだった。1960年代、70年代のこと……。

そういう動きは80年代に盛り上がりを見せたけれど、90年代半ば以降、「平和」「人権」といった言葉が空疎だと思われる社会の混乱があり、貧困・差別・環境、いじめ・自殺等に対応していく平和教育が求められる気運が出てきた。そして、ゼロ年代からは包括的平和教育が重視されるに至った。

『平和教育を問い直す』(法律文化社)では上記のような教育の歴史を概説し、非暴力的な人材を育てていく「広義の平和教育」が「教育一般」と差がなくなってきた現代にどう見直されるべきかという課題を探っていく。総論に続いて、複数の著者による「国語教育と平和教育」「平和のための英語教育」「自然科学教育と平和教育」「幼児期の平和教育」他、多彩な各論が充実している。

その左に置いた『平和の文化8つのキーワード』は、1999年に国連総会で採択された「平和の文化に関する宣言」というユネスコの理念を、英語教師たちのグループが解説した小冊子。社会科の先生たちではなく、英語の先生たちがグローバルな人材を育成していくという視点で取り組んだことに独自性があるようだ。

「平和教育」のための時間をわざわざ作らずとも、日頃のいろいろな教育の中で、問題意識を持った指導者が折に触れ、子どもたちに考えてもらう工夫をどうしていけるのかが大切なのだと思う。
私は学校教育のプロではないので、よく分かっていやしないけれど、教科の専門知識と教育技術がある水準に達していることが教師の条件で、それに人格やら教養やらが求められる。さらに、広義の平和教育の諸課題、つまり貧困・差別・環境といった人権を損なう要素に目を向けさせる力が十分に備わっていることも、おそらく重要なのだ。
そこが重視され、しっかり実践されていかないと、たぶん社会は成長していけない。

教員だけで担えないなら、『きみには関係ないことか』(かもがわ出版)のようなブックリストを元に、保護者やら地域の大人やらがまず知識を蓄え、働きかけていくと良いのだと思うけど……。無論、本を中心にしなくとも、アプローチ方法は様々だ。

見出しの「人が人としてあること」というのは、「人権」という言葉では引いてしまうと人に言われたもので、それに代わる言葉がないかと模索する中で、ひとつ考えてみたもの。

テーマ : 読んだ本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

【No.1344】青白き黒き世界

別のテーマで一般書を2冊紹介しようとしていたけど、今夜は雪国で再び大雪になると聞き、この絵本の出番だと差し替えることにした。

昔からの絵本好きには、福武書店、ベネッセコーポレーション発行でおなじみの手島圭三郎作品『ふぶきのとり』である。今流通している版は絵本塾出版から復刊されたものだ。

先日のおはなし会で、『おばあさんのすぷーん』(福音館書店)か、この『ふぶきのとり』のどちらかを、読みたいおはなし絵本として持参した。日曜の東京は、まだ寒かったが、「もう間もなく春」という空気が漂っていた。帰りに立ち寄った羽根木公園では、「梅まつり」の屋台が最寄駅周辺には出ていたものの、かんじんの梅のつぼみはまだかたく、花をつけている樹は数えるほどであったが……。

おはなし会のパートナーとは、「雪の本は2月が読み時だけれど、今回は、もうそういう雰囲気ではないわね」と話し、『ふぶきのとり』ではなく『おばあさんのすぷーん』にしたのだ。
もっとも季節のためだけでなく、集まった子どもたちを見て、幻想的で抽象性の高い『ふぶきのとり』よりも、ねずみがスプーンでそり遊びをする内容の方が分かりやすそうということもあっての選択であった。

力強い木版画で、青や黒を基調にし、北の大地のふぶきの一夜を描く。
ふぶきを連れてくる大きな鳥が、雪の森を見おろして舞い降りる広場をさがす。
やがて彼が、手ごろな広場に舞い降りると、森の木々から「ふぶきのこども」と呼ばれる精霊(たぶん)が飛び出してくるのだ。「とびだせ とびだせ ふぶきのこども」という歌に合わせながら……。

ふぶきのこどもたちは、馬やうさぎ、きつね等の似姿をしている。こどもたちは、ふぶきのとりを囲み、踊り始める。皆で楽しく踊り遊んでいるうち、月の輝きに誘われるようにして、ふぶきのとりは空へと舞い上がっていく。

おそらく、こういう幻想的な雰囲気が伝わるのは、小学高学年ぐらいからだ。この時期、教室に入って読みきかせをするというような機会がある人には、選択肢の一つとして良いかと思う。

テーマ : 絵本
ジャンル : 本・雑誌

【No.1343】憂国の書

「あー、気が利いてセンスが良くてユーモアがあって、仕事の本来的意味が分かっていて、やる気のあるタフな若者と働きた~い」と日々考えている人が、他にもいるのではないかと思う。

「寄らば大樹の陰」で大樹の「樹液」ならぬ「受益」をちゅうちゅう吸っているような「甲虫」ならぬ「顔厚虫」という風情の年配者が多い職場だったり、年配の客が多い職場だったりすると、若い世代は「何で俺たち世代が、この人たちにご奉仕せにゃならんの?」と不条理を感じる局面が多いだろう。

しかし、老年行動学の知識がいかばかりかでもあれば、「ご老人だから、こういう傾向は仕方ないのだな」と客観的に考えられる視野が持てるので、多少は割り切りができるようになる。ある日、ぶちっと切れる前に、予防として一読しておくと良い気がする。

臨床死生学・老年行動学を専門とする佐藤眞一・著『ご老人は謎だらけ』(光文社新書)である。

章のタイトルの下位にある節のタイトルあたりを書き出してみる。
「なぜ、都合のよいことしか覚えていないのか?」
「なぜ、わがままな人は長寿なのか?」
「なぜ、耳が遠くても悪口は聞こえるのか?」
「なぜ、キレやすいのか?」
「なぜ、他人の世話を焼くのか?」
「なぜ、病気自慢をするのか?」

よくよく考えてみると、こんな人ばっかの世の中になったら、どうしようと思いやられるわけだが……。
すっ飛ばし読みで一時間もあれば最後までたどり着ける。文字でかーい新書。

テーマ : オススメ本!!
ジャンル : 本・雑誌

【No.1342】ゆるがない人




昨夜、眠る前、『ばかものギンペルと10の物語』の最初の2つの物語を読んだ。
アイザック・B・シンガーは1978年のノーベル文学賞受賞のイディッシュ語作家。長編、短編、童話と、今まで読んだ何冊かに外れがなかった。

2つめの物語「クラクフからやってきた紳士」は、過去に翻訳があった作品らしいが、まったく思ってもみなかった展開で驚かされた。
リアリズムだと思い込んで読んでいたら、途中で幻想説話に化けたのだ。
「うおおおお……」と叫びたくなるような展開であった。
この作品だけで、「この本を読んで良かった」と思えるほどの短編だった。

テーマ : 読書記録
ジャンル : 小説・文学

【No.1341】愛を夢見る人の本


きょうはバレンタインデー。

愛し愛されるというのは、奇跡のようなことではないかと思える。それは魂の交流で、したがって、魂の交流が立ち消えると愛もまた消えてしまう。

『悪い娘の悪戯』という、なかなか過激な小説と、『しろいうさぎとくろいうさぎ』という、ほっこり温かな絵本を並べてみた。悪魔の本と天使の本を並べたように見えて、共通点も多い気がする。

『しろいうさぎとくろいうさぎ』は人種問題を意識しているとも言われているようだけれど、ならば、身分違いの恋という設定が同じ。そして、2冊の本が描こうとした「生涯をかける愛」というファンタジーも同じ。

魂の交流というのは長続きするものではないけれど、おそらく死んでしまう前、自分は「心」を持った存在だったということを思い出すとき、その証となってくれるものではないだろうか。

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ジャンル : 本・雑誌

【No.1340】声に出して読むに堪える絵本

ようやくブログを再開いたします。

「本のシャワーにさらす肌」を書いていたNews-Handlerには、検索で訪ねてきてくれる人が結構少なくなかったようで、アクセス数が悪くはなかった。アクセス数がなかなかだと、やはりモチベーションにも影響する。また、時々、訪ねてきてくれている人がいることもホストで確認できていた。

それに比べると、ここに付けてみたカウンターの数字は「なんじゃ、これ?」という感じだけれど、そもそも昔から日記を書くのが楽しかったので、読んでくれている人が15~25人ほどいるなら、公開でまだしばらく続ける意味があるのかな……と考えています。

ツイッターでもしばらく遊んでみたけれど、タイムラインにはなるべく情報が流れるようにしておきたいし、人と声を掛け合うより、何かを拾ってもらえるような書き込み方がしたいものだから、申し訳ないけれど「フォロー」「フォロー返し」が限定的になってしまう。
フォロワー数が増えるのも良いが、「お気に入り」ページに落として読んでくれている人がいるなら、そういうのもありがたいかも……と思いながら、遠くまでは聞こえない長めのつぶやきを時々はエアに乗せていく予定。

それで、これが昨日のおはなし会で読んだ自分が担当した2冊の絵本。

『こけこっこー』は『もりのおふろ』で一躍有名になった西村敏雄氏の絵の魅力で選んだ。
最初に読む本として、「こけこっこー」となくのは元気が出る。森のみんなを起こせる「にわとり」をうらやましがったいろいろな鳥たちが、代わりばんこになくという設定も面白い。はとがどうなくか、からすがどうなくか等を教えてあげられる。
お話は無難に仕上がっているのだけれど、贅沢を言わせてもらえば、読んでいて、どうもリズムが取りにくく、すわりが悪かった。

絵本のテキストって、本当に難しいものなのだ。
童話の名手であっても、必ずしも良い絵本のテキストが書けるとは限らない。

そういうことをまざまざ感じさせられたのが、神沢利子氏のうまさが光る『おばあさんのすぷーん』。これは、からすが盗んでいったまま放置していたスプーンを3匹のねずみが見つける話。不思議なものだと眺めているうちに、雪野原をそりのように滑り出したスプーンに3匹が乗る。
他愛ないようでいて意外性のあるお話が面白いし、何より、言葉の洗練、読んだときのリズム感や言葉の流れ方の「こなれ感」に優れている。色数を抑え、メリハリをはっきりさせた富山妙子氏の絵も素晴らしい。1969年からのロングセラー。

読みきかせが盛んだけれど、どうせ読むなら、子どもには質の高いものを紹介していきたい。
雑誌の記事やガイドブックを見ていると、「何で、こんな程度の本を入れているかな」と思わせられることがある。安易に作られたものは選ばないように、少なくとも選書して記事を書いたりリストを作ったりする立場にある人は、しっかりやってもらいたい。そうしないと、そういう情報をうのみにしてしまう読者が気の毒だ。というようなことも考えた。

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プロフィール

中村びわ

Author:中村びわ
2004年から2011年まで書いてきた
「本のシャワーにさらす肌」
http://biwa.blogtribe.org/を、
こちらに引き継ぎます。

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