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【No.1063】火山の島で(2)…8月22日+25日

伊豆七島の本って、ほとんどないのですね。

お楽しみはもちろんダイビングだけの観光地ではないけれども、その日体験ダイビングをしたグループがもう1組あって、そこに興味深い人がまぎれていたので、ちょっと書き留めておく。

水に潜る前のブリーフィングを一緒に受けた人たちのなかに、「えっ、もしや、あなたは海猿(日本の「ダイ・ハード」のような映画で有名になった海上保安庁の特別訓練を受けたレスキュー潜水士)でっか?」という人がいたのだ。ずばり海上保安庁ではなかったのだが、それと似た種のレスキュー関係の仕事をしているということで、変わり種のインタビュー好きの私は、もう話を聞き出したくって聞き出したくって仕方なかったのだが、せっかくの自由時間にそれは迷惑だろうと思ってあきらめた。
インストラクターの人たちも同じ様子。Cカードのような一般的ライセンス、そのステップアップの資格は所持していないというのだけれど、一体どういう訓練を受けてきたのか、興味しんしん。まあ、それでも、50本には及ばない数十本のキャリアだということだった。とはいえ、1本につき何十分なのだろう。
水中で少しだけ一緒になったとき、耳抜きがうまく行かず鼻をつまんでばかりの私、インストラクターに吊り下げられたままの私の前を事もなげに優雅に泳いでいた。
あとで、耳を立てて話すのを聞いていたら、「魚が泳いでいるようなきれいな海には初めて潜った」ということだったので、訓練はやはりドロドロの水の中ででも行うのだろうか。

大島から帰るときも、元町港の待合所でそのグループを見かけた。ものすごく地味で実直な普通の人のようで、どこなく鍛えている感じのオーラが漂う。
以前自衛隊にいたことがあるという人と話をしたことがある。その人と何となく共通する雰囲気があった。
話はそちらの人にずれるが、自衛隊って、退官しても、人によっては技術訓練を定期的に行い、いざというときに協力するという制度があるらしい。つまり自衛隊を離れても、その人はときどき銃を撃つ練習他に行っているということだった。
別に特別なお付き合いがあった人ではなく、年もだいぶ下の人だったが、思想的なことでなぜか話が合うことがあって、沢木耕太郎『テロルの決算』を贈ったことを思い出した。
『テロルの決算』は、昭和35(1960)年に右翼的少年・山口二矢が社会党委員長・浅沼稲次郎を単独で暗殺した事件を書いたノンフィクション。

さてさてさて、伊豆大島である。学生時代に神津島に行ったときは、夜遅く出航して早朝に到着するという船便しかなかったので、ジェット船を利用したのは今回初めて。伊豆七島があまりにも近いのに驚いた。もっとも大島の緯度は、伊豆半島の先の下田と変わらない。距離的には確かに近い。
心理的にも近い。なぜなら住所は東京都である。車も品川ナンバーだったような……(亜熱帯の小笠原も東京都なのだが、品川ナンバーなのか。少し前、返還40年記念とかでNHKが特集していましたよね、朝のニュース時間帯に。小笠原も行ってみたいのう)。
近いと分かっていても、浜松町駅から徒歩7分の竹芝桟橋からわずか1時間45分という短さで着いてしまうには驚いた。小さな船なので揺れと酔いを気にしていたが、船体が海面から持ち上がって、海上をすべって行くので、ほとんど揺れがないのである。東海道新幹線って結構揺れるじゃないですか、古いから。揺れはあれと同程度。
それを考えると、東京方面から渋滞で大変な思いをして伊豆半島の海水浴場に出かけるよりも、ずっとストレス少なく、計画通りに旅行ができてしまう。無論、船の燃料代も上がっているから、じりじりと乗船代も上がってはいる様子。片道で7500円程度だろうか。
本当は、世田谷のとなり調布の空港から片道25分で到着するセスナ機も良いなと思った。けれども、天候の影響を船より受け易いというリスクを考えてやめた。実は、と告白的に言うほどのものでもないが、交通機関を考えたり行程を立てるというのがとても好き。
わずか半年だけ旅行業界の仕事をしたことがあった。旅行会社からハワイの招待を受けたのに、会社を辞めるつもりだったので断って、そのせいもあって結局いまだに米国領土は未踏の地なのである。もう少しねばって、旅行企画などやると面白かったかも……。本体の流通業がいやになって辞めてしまった。「物を売るより作るでしょ」という幻想にとらわれた20代前半の話になぜかなってしまった。経験を重ねると、開けなくてもよい引き出しがやたらと増えますこと。
<この項つづく>

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【No.1062】火山の島で(1)…8月22日

「ダイビングは癒しのスポーツと言われています」
海からエキジットするときに、ジャニーズ系の青年がこう言って静かに微笑んだのが、4月にサンゴ礁の多い奄美大島で初めてスクーバダイビングを体験したときのこと(ログはこちら)。人けのない白い砂につづく浜辺に、美しい水中世界に接した喜びに満ち足りて上がっていくことができたのであった。
それまでにまったく経験したことのない世界。途中、すべてのストレスからフリーになって、海中に暮らす生き物のように自分を感じることができた。お陰さまで……。

それが今回は、
「あ、お母さん、鼻血出ていますね。
耳抜きに結構、苦労していたみたいだもんなあ。
じゃ、行きましょ、行きましょ」
「ええっ、鼻血っ。鼻血なんて出ちゃっているの~!」
――すたすたすた。
ベテランのガイド氏は、私たちのフィン(足びれ)だけ持って、どんどん歩いていく。
「おいおいおい、待ってくれぇ。どうか、もっと構って、構って。やさしさのか・け・らを~!」と口にしたいのをこらえて、後を追って駐車場に向かうのであるが、そこは足元に大きめの石がゴロゴロした波打ち際。そしてそれに続くコンクリートの段が高い階段。さらに、気圧の関係でふらふらになった身体に重いタンクを背負って段をのぼったあと、上の道路まではまだ数十メートル歩かないといけないのであった。
駐車場にたどり着いたところで、「鼓膜が破れるんじゃないかと何回か思ってちょっと怖かった~。それに、アーチの前あたり、潮の流れがあって、結構冷たかったですよね」と言うと、「だいじょうぶ、だいじょうぶ。あそこまで行けたら、まーったく心配ないですよ」と軽く受け流されてしまった。

スキー場で言うと、奄美大島はルスツ、トマム、軽井沢(軽井沢ではスキーをしたことがないけど)、草津、斑尾といったリゾート系、そして今週2泊3日の滞在をしたきた伊豆の大島は石内丸山、戸隠(この2ヶ所は行ったことがないけど)といった体育会系、それほどに差があるのであった。
火山の度重なる噴火で形成された伊豆大島は浜の砂も黒く、海岸は岩がちで、湾らしい湾はなく、黒潮に洗われ放題。野趣に富む風土のせいか、粗野というのではないが、「しっかり自立していないと身は守れん」と言わんばかりの住人の素朴さ、朴訥さが印象的であった。
まあ、学生時代に、ヤンキー系の皆さんが甚平をお召しになり、雪駄をお履きになって海水浴を楽しまれに出かける、神津島という伊豆七島の別の島に3回行ったことがあるので、何となくチャラチャラ系「リゾート」という雰囲気ではないという感じは分かっていたけれども……。

物のサービスの提供の仕方にはいろいろあるが、ダイビングサービスというのものにもスタイルに歴然とした違いがあると知って面白かった。サービス・スタイルが地形に対応している気がする。
その日、体験ダイビングで使われたのは「野田浜」という、大島的には初心者OKのポイントらしい。確かに、若いイントラ(インストラクター)のお兄ちゃんが向けるデジカメに、きゃあきゃあ言いながらポーズする若いお姉ちゃんたちのグループなどもいて、必ずしも体育会系ばかりではないようだったし、奄美と違ってプライベート感がなく、エントリーするあたりを道路から見下ろすと、かれこれ30人ぐらいのダイバーたち(それはトップシーズンからは落ちている数字らしい。私には渋谷のスクランブル交差点のように見えたけど)がちゃぷちゃぷしていて、よく使われる場所だと分かった。
けれども、潜ってしばらく行くと、ごつごつした火山岩に次から次へ出くわすあの場所で「ダイビング事始め」をもし体験していたら、また改めて潜るのに挑戦してみようと気軽には思えなかったのではないかという気がする。魚の種類の豊富さや火山が造った地形の不思議さに目を奪われ、それを見られたことの満足が最終的には勝ったものの、「癒し」という感じではなかった。場所によっては結構大変な思いをするレジャーなのだなあという新しい認識があった。勇気と体力にある程度自信がある人でないと、挫折することもありそう。

奄美の内湾は潮のうねりがまるでなく、白い砂の海底とサンゴ礁、サンゴに群れる魚たちが幻想的ですらあったが、大島のそのポイントは、火山が造った複雑な岩の間に若干の潮も入り込む場所だからこそ魚たちが好むのであって、素人がらふら泳ぎ回れるような自由さは許されないのだった。
私たちが背中にしょったタンクの部分を、ガイドの人が常につかんでいた。軌道、方向をうまく修正しながら、そこに住んでいる主な魚たちをお客が見損なわないように、岩べりに近づけたり、通り抜け易い高さへ上げたり下ろしたりという技術のいる重労働に助けられ、ずいぶんいろいろな種類の魚を見ることができた。
ガイドの主たる仕事はお客の移送なので、顔を見合せて「耳抜きはだいじょうぶか」「OK」「呼吸は苦しくないか」「OK」と手のジェスチャーでいちいち確かめ合うでもなく、ホワイトボード(名前、何て言ったか忘れた)に出くわした魚の名前をいちいち書いて教えるでもなく、とにかく見て回る。
「あれで20分ぐらいだった」と後で言われたけれども、奄美の1本35分が短く感じられたのに、大島の1本20分は40分ぐらいに感じられた。体感温度も大きかったと思う。5ミリ厚の標準的なウェットスーツ着用であったが、私たちは脂肪が少ないので、あまり一般的でないというロクハン(6.5ミリ厚)ぐらいのあったかなスーツでも良かったのではないかと思えるほど。海上は31℃なのでしたけれどね。首や腹が水の冷たさを感じ取った。

お世話になったのは、大島では上級者対応にも定評ある様子のグローバルスポーツクラブ。HPで見ると、飼い犬がなぜか奄美大島生まれらしい。うちの息子よりはるかに頭の良さそうなワンちゃんだった。息子の社会の自由研究絡みで、火山と海洋生物について事前に問合せをしたところ、丁寧にまとめたレジュメまで作成して頂いてしまった。何かお礼をしなくちゃ。
このサービスの海ログは毎日大きめの写真が何枚か貼ってあって、見ていて楽しい。自分が見られた魚もある程度、それで確かめられる。
それから、野田浜のポイントの地図はこちら。「-13」という数字の近くに弧があるけれども、それが溶岩が固まってできた天然のアーチなのだ。水没したロンドン橋という感じ、まあそんなに大きくないけれども、その下をくぐるという体験がとてもワクワクものだった。くぐったところに、ハナゴイというのかな、ピンクがかったきれいな魚が群れていた。
真下をアカエイがよぎったり、卵を守るクマノミ(日本に6種類いるけれど、大島には1種類)父さんが幼魚連れでイソギンチャクから飛び出していたり、アメフラシという不思議な生物が岩に張り付いていたり、名前は知らなくても20種類超の魚に目を留めた。足が立つエントリーの場所にも、足もとに鮮やかな青い小魚がうようよいた。つまり、シュノーケリングの磯遊びでも楽しめるっちゅうわけです。オリンパスで出しているような5メートル程度の防水のカメラであっても、それが撮れるということになる。うちは初期に買ったデジカメが350万画素ぐらいしかなくて、携帯電話のカメラ機能にも劣るもの。いまだアナログの一眼レフを旅行記念写真用に使っているので、こういうところに写真を上げない。今回こそ新調しようとして、また見送ってしまった。
<この項つづく>

【No.1061】イデオロギーに関係なく…8月16日

「なでしこジャパン(これ、本当によく考えた愛称。日本代表だけでなく「女子サッカー」を愛称化する結果を生んですごいと思う。新しい時代の大和撫子として面白いし)」の前向きな闘いぶりを見ていて、前に行く気持ちが空回りせずに勝利にも結びついて、気分良い観戦であった。
ただのパス回しでなく、ゴールへのフィニッシュに結びつけるパス回しがきちんと機能している試合は観客を魅了しますね。そういう意味でのOnly connect(英文学者フォースターの言葉であり、私が息子のボールに書いていた。サッカーの児童文学を書くなら、このタイトルで決まりですね(笑))が大切である。
沢さんのオーラは釜本選手並であり、日本を代表する蹴球選手の1人に殿堂入りではないだろうか。取れ、メダル!!!
「あきらめないのが、なでしこのサッカー」って、名言。こういう人材が日本各所で求められている現在。

少年サッカーでチームメイトになじられ、すっかりサッカー嫌いになって終わった愚息も、なぜか自分が一番楽しくサッカーをできた日のことを急に思い出したらしく、話をしながら観ていた。良いオーラは、良い空気を運ぶのだ。
そういえば、息子のクラブでは1人だけ、ボランティアでなくプロのコーチに来てもらっていたのだが、その人が休むときに来てくれた代理コーチが、沢さんと小学校のときに一緒にプレーしていたと言っていた。また、うちのすぐ近所にも小学校の女子チームで全国制覇をした女の子がいて、グランドで愚息もお世話になったことがあり、「将来のなでしこか」と楽しみのなのだ。彼女がリフティングをすると、ボールが彼女の体の表面を水のように這う感じでした。ロナウジーニョのリフティングとはまた違う、女性ならではのボール扱いに関心させられたことがある。
しかし、現地でなでしこを応援していたサポーターは中国人観客から結構こわいめにも遭わされたようで、これからの試合の前後などに、なでしこの選手がいやな目に遭わないと良いと願う。

中国人を煽るわけではないが、こういう本について紹介文を書いてみた。きのうの終戦記念日は靖国参拝についてもまた報道されていたが、靖国は当然「一の宮」ではないですよ。武蔵国の一の宮は、FC東京本拠地近くの多摩市一の宮(聖蹟桜ヶ丘下車徒歩10分)にある小野神社、そして、浦和レッズ本拠地にある、さいたまの氷川神社(北大宮下車徒歩5分)の2つが昇級戦を戦っているそうなり。アントラーズの鹿島神宮も常陸国の一の宮。
前者の小野神社は、社務所に神主さんが常駐していないほど小さな規模で、学術的には一の宮であっても、武蔵国内200社以上の氷川神社総本社である氷川神社には見劣りする。大宮の氷川神社は行ったことがあるが、とても広く、確かに風格がある。

神社のことを書いておいて、タカ派かと思わせておいて何ですが、ここのところの『蟹工船』ブームを少し気にしている。

今は在庫切れの左端の新書で、荒俣宏氏がプロレタリア文学を面白おかしく読み解く切り口を提示していた。
就職や仕事に難儀している若い層が、それと同じような感じで自嘲的に『蟹工船』を読んでいるということだが、このロシア・アヴァンギャルドを思わせる表紙装画の新潮文庫版、思わぬ古典の売れ行きで「びっくり」「もうけた」という感じだろうか。『蟹工船』は岩波文庫にもあるが、単行本でつい先日、週刊金曜日から出たというトピックスも面白い。週刊金曜日、うーん、良い意味でもそうでなくとも偏っているのは確かですね。
マンガ版も2種類出ているって、ここに貼りつけたのは梶原一騎風、いや、昔、週刊現代だか週刊ポストだか何かに、よく連載されていた小島某のやたらにエロい場面のある時代マンガ風のタッチだろうか。ちょっと見てみたい気もする。
そして、右はじ、満を持して共産党の出版社、新日本出版社が小林多喜二の評伝を出した。しかも著者は小林多喜二全集を編んだ人だというのだから、益々面白い。
新日本出版社は、意外かもしれないけれども、今をときめくあさのあつこ氏がデビュー当時、立てつづけに小学低学年向けの童話を出していた版元なんですね。ここはそう偏りなく、地味だけれども良心的な本を出している。多喜二の評伝というのも、この機会に見直してほしいという企画で、大人のスタンスではないでしょうか。

ネタのまき散らかしだけで恐縮。
明日から天気が良ければ、蟹工船ではない「お船」に乗って短い旅をしてくる予定。2度目の海中散歩ができるといいのだけれど……。楽しみだ。
ところで、カニの絵を描くときって、腹に必ず「工」を描いていましたね。そう描くと、いかにもカニっぽくなるんですよね。

【No.1060】遠く故郷を離れて…8月12日


重い内容の本ばかり貼りつけた私が、実はこれから「藤原紀香とどっちが豪華ボディなのか」という米倉涼子ちゃんが何を着るかというのが楽しみで「モンスターペアレント」という連続ドラマを見るところだというのも情けない話なのだが、いろいろなことに興味が湧くのは、もう仕方ないことなんですね。

ナチス迫害の犠牲者の手記『キンダートランスポートの少女』(未来社)を昨日読了。
この1冊のおかげで、頭のなかのあちこちに散らばっていた知識や気にかけていたことが、カチリカチリとパズル片のように組み合わさった。
「キンダートランスポート」はこの本では「子供の輸送」と訳されているが、ゼーバルトの訳者・鈴木仁子氏は「移送」としていた。日本の「疎開」とは異なり、篤志家個人や慈善団体によって、ユダヤ人子弟や反ナチの家庭の子どもたちを組織的に退避させた活動だということを知る。
1980年代半ばになってようやく、この活動で命を取りとめた人たちが語り始めた。その1人が著者のヴェラ・ギッシングである。移送された子どもたちは自分は生き永らえたものの、家族や親族などの身寄りを失い孤児になってしまったのである。

キンダートランスポートに助けられた人ではないと思うが、もしかするとナチス迫害から逃れたのではないかと思われる人と、過去に少しだけ触れ合ったことがある。
前に、ここで書きかけて、興が乗らずに記事として途中で見送った経験だ。
1980年代の最初に英国のマンチェスターのとあるホテルに泊まった。小ぎれいで品の良いところで、ラフな格好の東洋人の娘にはふさわしくないホテルであった。当時そういう場所ならば、何となくバブリーな日本人を小バカにするようなところもあったのだけれども、そこのスタッフはとても親切であった。不思議な感じがしたものだ。もしかすると、遠いところから来たワケの分からない異邦人にも温かかったということが、今から書くことの根拠になるかもしれない。

中華料理店で夕食を外で終えて戻ると(おいしいものがなかなか食べられない英国では、中華ならば間違いないと言われていた)、言われていた通りホテルの入り口には鍵がかかっていたので、呼び鈴を押した。すると、経営者夫人らしい妙齢のマダムが出てきてくれた。
ちゃんと適当な夕食にありつけたかどうかというような話をしてから、彼女は私がどこから来たのかを尋ねた。そこで私も出身地を尋ねたのだったか……。“I'm Hungarian.”という答えが戻ってきた。それが妙に印象に残っているのだ。

そのときは「そうか、ハンガリー人なのか」と気にも留めず、国際結婚なのかぐらいに思った。実際、それが事実なのかもしれない。しかし、ゼーバルト『移民たち』(白水社)を読んでいたとき(8/14修正→12日に書いたとき『目眩まし』と勘違いしていました、すみません)、マンチェスターがユダヤ人の多い街であることを知った。
はっとした。
“I'm Hungarian.”と答えたときのマダムの含みと憂いある表情、慎み深い声の調子、そしてその顔が典型的なユダヤ人顔であることを思い出したのだ。
ユダヤ人の顔の特徴がどういうものか、東欧にいかにユダヤ人が多いのかを知っていったのは、それ以後の読書や映画鑑賞によってである。また、その翌年と、それからだいぶ経ってからの二度、ハンガリーを訪れる経験をした。別の興味からの訪問で、彼女とのことには関係はなかったけれども……。
年代的なものを考えても、あの女性がナチスの迫害を逃れて英国に渡った人だという可能性はある。ナチス迫害など、とても遠い世界の話のような気はするが、こういうことはあり得るのである。広島や長崎の被爆者、被爆二世が今もその傷を抱えながら生きているのと同様に、私たちが欧米の人と触れ合うとき、敢えて口にはしなくとも、その人がナチスの犠牲者やその子孫である可能性は低くない。

ホテルは今も美しい姿のままあることをホームページで知ることができる。
英国だからということもあろうが、小さな子どもたちや身障者に対する配慮も十分な、ホスピタリティの高いホテルとして存続しているようだ。あのマダムは今も健勝であろうか。
あの晩、自分がもう少し教養のある人間だったならば、話の接ぎ穂を見つけられ、何かもっと踏み込んだ話ができたのかもしれない。しかし、ほんのわずかではあるが、遠い場所からマンチェスターに来た女性どうし、心が触れ合ったことを感じられたのがせめてもの救いだ。

魔法のようなスペクタクル…8月9日

莫言作品をいくつか映画にしているチャン・イーモウが総監督だというし、中華思想全開ですんごいショーなのだろうなと思ったけれども、最近早寝なのに何かやたら長そうだし、いろいろな問題を起こしている国なので「けっ」という気持ちもあったので、北京オリンピック開会式生中継は見なかった。

今朝のニュースでこそっと見ただけで、ナルトマークがいっぱい。中華っぷりは十分に分かった。昔、火を噴くカップ麺の宣伝があったような気がするけれども、その絵がよぎった。
開会の宣言が終わるとともに、空駆けるメダリストがぼうっと火をつけるというだけで、いやいやいや、きれいだなあと感心しましたよ。
星が天の川になって流れていくというのも、あれは今は日本の教育カリキュラムから抜けているという四大文明発祥の地、黄河流域…そういうものにもつながっていくのですか。

チャン・イーモウは「張芸謀」と書くので、「張り切って、芸を以てはかりごと」と無理に読み下せば、まさにあの場にふさわしい名だ。最新作は中井貴一氏とも組んでいるようだ。

眠る前、開会式前半のその時間帯、スペクタクルとまではいかなくとも、ある魔法の本を読んでいた。とても面白い。
ハリー・ポッターの最終巻ではない。

ハリポタ、さすがにすごい人気だと思わされたのは、昨日、夏の自由研究のための資料をおつかいで図書館に引き取り(とても恥ずかしい話。先生には秘密。部活動があるというので、母が動いている)に行ったときのこと。図書検索機の横に張り紙がしてあった。
最終巻の世田谷区の予約は何と今現在2000件に達しているそうです。
試しに私も予約を入れてみようかと思ったよ。
こうなると、やはり現実対応として、50冊、100冊を購入しないといけなくなるだろう。
おまいら、小遣い貯めて買え!
それからブッシュ、近くまで来たなら、立ち寄って長崎で手を合わせてから帰れ!
戦争がどうだこうだというのではなく、原子爆弾はやはり人類に対し使ってはいけないものだったのだから、そこのところをはっきりさせるために広島か長崎を訪れるべきだ。それに議定書も批准しないのにオリンピックの開会式には行くというのは「こすい」、とは言わないが……。
オリンピックは人類平和へ向けての祭典ではなく、ましてや国威発揚の場でもなく、真剣な競技の結果、代表として集まってきた競技者たちが技を競い合う場だから。

「鳥の巣」といえば、こちらがきれいです(左端の本に中村コメントあり)。

【No.1059】ファミリーツリー…8月7日

広島の原爆投下時刻にテレビ中継で伝えられる鐘の音を聞きながら黙祷をして、ブラジルの予言者ジョセリーノの「東京で巨大地震」予言当日であることにいささかびくつきながら、ビルマ、インド、マレー半島を舞台に展開する、20世紀のある家族のサーガ――ゴーシュ『ガラスの宮殿』(新潮社)を読了して……。
そのほかの時間、昨日は「すぐにでも身軽に引っ越せるよう家内を徹底して片付けるキャンペーン」という、ひとり企画・ひとり実行キャンペーンの一環でせっせと動き回っていた。
それで夜、眠りにつくときに、それらがすべて影響しているのだと思うが、「いざというとき、息子が誰を頼れるのかが分かるように、明日簡単に家系図を書いてみよう」と思いついた。
「いざというとき」というよりは、たぶん彼が、自分にはいとこが何人いるか、彼らの名前は何かという全体を把握し切れていないと思ったのだ。数えてみると、私の7人のいとこに対し、彼は8人ものいとこがいる。しかし、うち3人とはほとんど付き合いがなく、そのなかの2人とは面識がない。

趣味的には、トルストイやフォークナー、マルケス作品などの本を並べてみると、それっぽい雰囲気が出る。『楡家の人々』『血族』など日本の小説もある。また、話題のリチャード・パワーズの新作『われらが歌う時』も、ユダヤ人と黒人が結婚して作った家族の話らしいので、そういうラインナップにしようかとも思ったが、こういう実用書ってやはりあるのだなあと感心したもので挙げておく。

それで今朝、ひと通りの家事(5時40分~10時過ぎぐらい)を片付けたあと、ちょちょいちょいとメモをしてみた。それほど大袈裟なものではなく、息子の曾祖父・曾祖母ぐらいまで分かれば良いだろうという程度のもの。しかし、最近、意図的に親戚付き合いをしないこともあり、自分サイドの方ですでに正確な名前が分からないものがぽろぽろ。
妹の連れ合いの名前は分かるが、漢字はこれでよかったのだろうか。
息子の曾祖父、つまり私の母方の祖父はかれこれ40年近く前に亡くなったが、はて、名前は何だったか。
私の女性の従姉妹は計5人いる。彼女たちの苗字がどう変わったかは知っているけれども、連れ合いの人のファーストネームはほぼ全滅だ、分からない。年賀状のやりとりも、自分たちの名前だけでしているしなあ。……というようなお粗末な具合である。

まるで余計なことかもしれないが、皆の現在の居住地やら学歴、職業などをメモ程度に書き添えると、何となく自分がどういう出なのか分かって面白い、面白いというのは語弊があろうがイメージしやすいと考えたけれども、これ、ちゃんとやると面倒だよと思い、清書には入っていない。
私自身の場合、結婚前ぐらいまでは親戚の羽振りが良いというか何というか、伯父・叔父さんたちの職業もそうそうとしたもので、保証人の類いには困らなかった。だが、正直、息子の親戚は世間的見栄としてはパッとしていない感じなので触発されることもなさそう。出世と幸福は別物とはいえ……。

そして家人、これはまあ名刺だけ見れば見栄も張れないこともない程度の肩書き。私に至っては、一応もっともらしい名刺は持っているけれども、実質プー太郎なので、これもまた、しょぼい。少なくとも年譜を作成しておいた方が良いというような一かどの人物ではないので、ファミリーツリーについても、パソコンに入力して清書などという真似はせず、いつ捨てても良いようなメモを充実させるぐらいにするつもり。

子どものとき、何かの折に親戚縁者を図に書いてもらったことがある。
「あなたの戸籍はきれいになって本当に良かった」と母が言っていた。父の方の戸籍の状態が何やらひどいものであったらしく、一族に「呪われし者」ではないが素行・経歴のよろしくない人物も何人かいたようで、また、父その人もどうであったかというと、決してご立派ではなかった。
結びはやはり、本人が自分で育てる能力、人品、そして人との縁と幸福だということになろうか。
プロフィール

Author:中村びわ
2004年から2011年まで書いてきた
「本のシャワーにさらす肌」
http://biwa.blogtribe.org/を、
こちらに引き継ぎます。

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