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【No.1027】好きな言葉、避けたい言葉…6月6日


映画化に合わせた表紙カバーのようであるが、最近買った文庫本には、都築まゆ美さんというイラストレーターの優しい絵柄の作品が使われている。
上巻の感想だけリンク先に書いて、下巻については遅ればせ、先ほど下書きを書いていた。そこで「物語」というものについて考えていた。

アーヴィングの小説はとても読みやすい。時間軸を解体したり、人称を変えたり、語り手がうそをついていたり、作者の幻視がどんどんエスカレートしたりするといった現代的で実験的な小説ではなく、技法が古典的な「物語」で「おとぎ話的」世界だからだ。
ユニークな性格づけがされた人物が何人か出てきて、各々の人物が意外性ある運命を背負い、関係し合う。人気のテレビドラマを見るような気安さがある。しかし、気安いだけでなく、中にはものすごい場面がいくつか仕込まれており、読みごたえがある。中学生以下にはお薦めできない要素もあるけれども、高校生ぐらいからなら、どきどきしながら大人の世界を知るのにも良いかもしれない。
良い言葉、はっとさせられる言葉もいくつか含まれているし、他の文学作品についての言及もある。

「物語」という言葉がとても好きだ。
「どんな言葉が好きですか」という問いに対して人気がありそうなのは、「(今話題の宇宙実験施設)きぼう」「夢」「愛」「家族」などといったものだろう。
しかし、日本語として美しい響きと意味を持つ言葉は、他にも多い。
たとえば、朽木祥氏の素晴らしいファンタジー文学作品の題となった「かはたれ」「たそがれ」、ピーライ(コピーライター)のソネアキラ氏がボリス・ヴィアンの小説の題と同じものをブログのタイトルにしていて、そこに含まれる雅語「うたかた」、息子が最初に発語した「はっぱ」、書評家がなぜか好んで使う「あわい」、それから「みはるかす」やら「さやけさ」「いずこ」「むすぼれ」などといった言葉も良い。永遠を「とわ」と読むのも……。

「あまねく」という言葉も素敵だ。
遠い将来、移住して果樹園をやることにしている(笑)奄美大島の「奄」は、「すべて」という意味のある「遍(あまねく)」の当て字らしい。つまり「奄美」とは「すべてが美しい」という意味なのだという記述が『奄美 神々とともに暮らす島』(毎日新聞社)という濱田康作氏の写真集中の解説にあった。ノンフィクション作家の小林照幸氏の文章。

そういう中でも特に、「ものがたり」という言葉には感心してしまう。
英語だとstoryにstorytellingでしょ。もうニュアンスがまったく違うという感じがする。誰がこのような言葉を作ったのだろうかと感心する。
物を語るのは人間の特徴であり性(さが)であり、さらに言うなら、うまく物語れるのは限られた人びとだけなのだ。

逆に避けたい言葉は、『未亡人の一年』の書き出し4行に2回も出てきて、以下際限なく出てくる「セック○」という言葉で、小説でよく扱われる素材なので言及しなくてはいけないときは、「情交」「肌を重ねる」のように、ついつい言い替えを工夫する。
いやらしい人のことを「すけ○」と言うけれども、あれもダメで、そういった言葉をけろり口にしない方がよろしいという教育を昭和ひとケタの親から受けたことが大きい。
けれども、その割に「やばい」「たっぱ」「眼(がん)たれ」「ぱしり」「カツ上げ」などといった品のよろしくない言葉は平気で使う。ひとつひとつに理由づけめいたものはあって、自分なりの禁忌コードで判断しているのだが、バランスを欠いているという自覚はある。

【No.1026】四半世紀ぶりの復刊…6月5日

ネットのなかの読書人に評判高いアンナ・カヴァン『氷』を入手。すぐに読み始める。

ヘロイン常用者。
本書が66歳のときに刊行され、その翌年、自宅で死後24時間以上経っている状態で発見された際、かたわらにヘロインが入ったままの注射器があったという。
以上、訳者による解説の出だし部分の内容だが、その訳者・山田和子氏によれば「フランツ・カフカやウィリアム・ブレイクを想起させる特異なヴィジョンと暗い世紀末の予見にあふれた……」という紹介。
米国で出版されると、カウンター・カルチャー世代にカルト的人気が出たということ。

絵画でも音楽でも小説でも、幻想的な作品で優れたものって、薬物と切り離せないという面もあるのかな……というのは、昔からの疑問。
古い時代の女性の幻想作家って、読むのが楽しみだ。

【No.1025】陶酔の泳法(6)…6月4日

「のし泳ぎ」で検索してみたら、こちらにはイラスト動画、こちらにはコマ割り写真で、泳ぎ方のイメージがつかめるようになっていた。
のし泳ぎは水戸藩に伝わる水府流の一番重要な泳法だそうで、やはり速く泳ぐためのものでなく、武士(と言うより、おそらくは忍びの者)が敵に見つからないように水しぶきを上げず泳ぐ方法だと別のサイトにあった。そして、誤って船から落ちたときに、できるだけ長く泳ぐための術だとある。
水府流の母なる川が那珂川だそう。

夏の朝、敦賀で遊んでいたこと、そのときに起こったことを「本のシャワーにさらす肌」【No.1017】【No.1018】【No.1019】で書いたけれども、「のし泳ぎ」を教えてくれたおじさんに会ったのも、そういう夏休の一日の始まりの時間帯であった。
たぶん「元気がいいなあ」というような感じで声をかけながら、おじさんは私たちのそばを泳いでいた。その不思議な泳法が「抜き手」というのだと後で教えてくれたが、犬かきやら平泳ぎであっぷあっぷしているような私たちを見て、「海で泳ぐときにいい方法を教えてあげるから、見ていてごらん」というようなことだったと記憶する。
最初に「これは、知っているでしょ」と「立ち泳ぎ」をその場でやって、私たちが見よう見真似で従うと、「のし泳ぎ」と「抜き手」をどうやるのかを教えてくれたのである。結果として「のし」はすぐできるようになったけれども、頭を水面に出したままのクロールのような「抜き手」は何度試しても沈んでしまい、うまく行かなかった。今もできない。

その日、ほんのひとときを一緒に過ごしただけの、名も知らないその人に、私は水に寄り添って泳ぐという喜びを実感できる泳法、一生の財産となる泳法を教わったのである。以来私は、海でもプールでも、「ああ、泳ぐって何と気持ちの良いことなのだろう」とうっとりしながら「のし泳ぎ」をしてにこにこしている。そして、そのときに、いつもかすかに敦賀の海のことを思い出している。

今の時代は、少女たちにおじさんが近づいて行こうものなら不審者に取り違えられかねない。だが、昔はこの「地域のおじさん・おばさん力」というものが、子どもたちの育つ環境で大きく機能していたということが、この一件でも明らかだ。ちょっとした知り合いや、よく知らないおじさん・おばさんが、言葉やその土地の習慣、文化、風俗などについて事あるごとに知恵を授けてくれる場があった。
よく考えてみると、古式泳法という日本の伝統の技術が、あのような形で伝承されたということは類い稀なことだったと思える。

そういえば、やはり「本のシャワー~」の方に書いた体験ダイビングの記事のところで、「この柳腰」という表現を使ったら(もちろんおふざけ的に)、「自分で『柳腰』はないだろう」的なチャチャを入れてきた古い友人がいる(何かぴんと来ないのだけれど、ときどきくれるメールに、なかなかユニークで大きな事業の諸々に携わっていることの報告があるビジネスマン)。
「柳腰」という言葉を「蒲柳の質」という言葉と共に教えてくれたのも、名も知らない地域のおじさんであった。敦賀の次に移った日立の町で、夏休みの前後、毎日毎日学校帰りにショッピングセンターに通い、同じ場所で1日3~8本のホームランアイスを食べつづけていたことがあった。中学2~3年のときに、友だち2~3人と食べられる本数を競い合って……。
そのショッピングセンターで働いていた人だろう、背広姿のおじさんが、手相を見てくれたことがある。それが案外よく当たっていたが、その人が「柳のような体つき」ということを言ってくれたのであるよ。確かに「柳腰」ではなく、「柳のようにほっそりとした」という表現で、微妙にニュアンスは違う。

――このようにして、私に構って、生活の知恵や雑学、技術、伝統を教えてくれた人たちに、今、深い感謝をしている。おそらく多くの人はもうすでに、此岸ではなく、彼岸に泳ぎ遊ぶ人たちであろうけれども……。

【No.1024】陶酔の泳法(5)…6月3日

体で覚えた「技」というものは、なかなか忘れない。

幼稚園の頃(幼稚園、4つも行った。世田谷で1ヶ月、四国の高松の仏教系で通園拒否をしてミッション系に移り、卒園は岩手は盛岡の白百合)はハサミを使うのに苦労したが、今は久しぶりに持っても思い通りに切れる。
自転車に乗れる人はブランクが何年かあっても、乗れなくなることはない。スキーも数年前久しぶりにやってみたとき、まるでダメかと思えたけれども、それなりに滑ることができた。
それから……、エッチなことにも触れておこうかとも思うけれども、品良く止めておきますわ。

そして、のし泳ぎ――
これがどういう泳ぎか説明してみる。頭の右側を水につける。だから左斜め上の空を見上げることになる。
右手は進行方向へ伸ばし、差し出すように伸ばしたその手を戻す。伸ばして戻して、伸ばして戻してを繰り返す。左手は、ひじを曲げながら水をかいては元に戻し、かいては戻しを繰り返す。手の動きに関して言えば、平泳ぎで左右の手同時に行うことを、役割を分けて行うというような感じになると言えよう。足は、正式なのはどうなのか知らないけれども、私は所謂カエルキックをしている。平泳ぎと同じ。
この泳ぎ方をしていると、顔を水につける必要がない。そして、顔をつける平泳ぎのように、首や背骨がこってくるようなこともない。
一番かんじんな特徴は、これが競技用に早く泳ぐための泳ぎではないので、ゆっくり、ゆっくり優雅に水を切って行けばいいということである。

私が泳ぎを覚えた小学生のころ、つまり昭和40年代は、水泳をするときにゴーグルをつけるなどということはしなかった。そういうものは、ごくひと握りのおしゃれな大人、当時珍しい渡航の経験があるような人が持っていただけではなかったかと思う。それから、競技に携わっている人。まだ、一般的ものとして普及していなかった。
だから、塩素の匂いが強烈なプールでも、眼に何の保護もなく、水中で眼を開けて泳いでいた。しかし、さすがに海となると、眼を長く開けつづけることは困難である。
そこで、のし泳ぎや立ち泳ぎに代表される「顔を水につけない泳ぎ」が重宝なのである。

プールや海で疲れてくると、私はこの泳ぎをする。本当は、この泳ぎ方でずっと泳いでいたいのであるが、人に「何よ、その泳ぎ方」という目で見られると少しバツが悪いので、公衆の目がある場所では、なるべくノーマルに泳ぐようにしているわけだ。
しかし、のし泳ぎに切り替えた途端、「ああ、やはり、この泳ぎは最高だ」と嬉しくなり、水面に上げた顔が緩むのを感じる。「うーん、気持ちいい」と、ついにこにこ、いや、にやにやしてしまうのである。
これがプールで高いところに座っている監視員に見られ、偶然目が合ってしまうと、「何だ、コイツ」という表情に変わるこもある。

のし泳ぎは、顔をぬらさずに済み、四肢に負担がないということで、水になじむ泳ぎ方、特に海になじむ泳ぎ方である。もっと言えば、水に抵抗することなく、水と一体化することのできる泳ぎ方なのである。私は、この「技」を夏休みの敦賀の浜辺で教わった。もう35年もの昔……。
<この項つづく>

【No.1023】「陶酔の泳法」のつづきを書く前に…6月3日

本のシャワーにさらす肌で途中になってしまった記事のつづきを書き継いでみます。
*************************
あちらのサーバーは個人運営らしいので、メインテナンスが十分でないところもあったのだけれども、管理画面のユーザビリティが非常によく、何よりアクセス解析充実のお陰で、直接のコメントがなくても、そこそこの手応えを感じながら安心して書いていられたのだ。
また、たまに驚くような人たちから、わざわざメールを送ってもらえることもあった。

ログが結構たまってきていたので、検索ヒットで来た人が以来読者として不定期にのぞいてくれているらしい様子、2004年の起ち上げ時から見ていてくれているらしい様子など、もちろんアクセス解析で個人までは特定できないが、団体や企業名、学校名、都道府県や地域のようなサーバー・エリアなどから、何となく「読んでくれている人」がそう少なくはない印象を持っていた。

むかし出版にたずさわっていた身で言うのもどうかと思うが、本を出しても、ほとんど人目に触れずして消えていくものも少なくない。人目に触れなくても出さなくてはならない事情もある業界だということも知っている。そういう状況もあるなかで、書いたものに反応してくれる人がいるということは結構なことなのだと思える(まあ、たとえ出版部数が1000部や1500部で、ほとんどが返品となり今の読者が獲得できなくても、本には後世につなげていくという側面もありはするが)。
したがって、アクセス解析から読み取ったものを、過信はしないが、謙遜もしない。
それに、瞬間に発せられる言葉(ログは残るとしても、自分の「旬」をタイムラグなく焼き付けられるという意味で)による「切りつけ」は、常に漂う自分の精神状態にも合っている気がする。時代の徒花(あだばな)的なスタイルも面白いものだ。だから、それを特化していって「Twitter」なんていうものもできたのね。「毎時、毎分発行メルマガ」みたいなものだものね。

8~9割方は検索エンジンのロボットだとしても、一時期は日に1000ヒット、ここ2ヶ月ほど、割にまめに更新ができるようになった最近は400~500ヒットで推移していたので、「本のシャワー~」の方にこちらの新設の告知を出せないのは残念。身から出た錆で管理画面にログインできなくなってしまい、マヌケなことはなはだしいが、いつかまた更新できるといいと思う。
特に、誰かのところのリンクから飛んできて、それからたまに覗いてくれるようになったような人には知らせる術(すべ)がなくなってしまった。魔が射して「中村びわ」のハンドル名ででもググってくれたその人が、私がぷっつり切ってしまった糸を再び結んでくれることを願うしかない。
お待ちしております。

【No.1022】青白い光(3)…6月1日

幹線道路を走り去って行く車の白光りするライトの列にも目を留めながら、白いものが目につく日だと思いながら自転車をスピードに乗せ、買い物を終えて帰ってきた。
玄関灯が照らし出している隣家との境の壁もまた青白く光っており、自転車のカゴから白い米の入った袋をつかみ出し、やはり白く光る玄関扉に向かおうとしたとき……。

壁の方から、白いチョウがひらひらと目の前に現れた。
一瞬、蛾なのかと思えた。夜の明りの中で、酔ったように乱れた動きをしていたからである。しかし、玄関扉に止まったとき、羽は閉じており、ごく一般的なモンシロチョウであることが確認できた。

チョウは再び、ひらひら、ひらひらと私につきまとうかのように周囲を飛び回り始めた。どうも動きがおかしい。よく見ると、羽がぼろぼろ……とまでは行かないものの、結構傷ついているのが分かった。
分かった瞬間、私はどきりと、ある気配をそのチョウに感じた。
――これは誰かの身代わりではあるまいか。

「この人、キティが入っているわ」
そう思われても仕方ないことを書いてみるが、私はこのような霊的な働きを迷わず信ずる。
それは、時、あるいは空間を隔てた遠い場所にいる人に思いを馳せるとき、自分が送る波が伝わっていった先で、何か私の身代わりの物が、その人の前に形となって現れているのではないかと思えるときがあるからだ。あまりにも強く、そうであってほしいと願うことが、おそらくそうなっているであろうという確信へと変わる。正気に障りを生じさせるほどに、思いが高ぶる瞬間というものがある。
何も、誰か男の人を恋しいと思うような気持ちだけではなく(過去にはずいぶん、そのような生霊を飛ばしていた気がする)、心の秘密を打ち明け合う手紙をやりとりした年上の信頼のおける女性、辛い闘病の上、ある日静かに亡くなっていったその人への感謝の気持ちであったり、大切な息子さんを亡くして悔いばかりが残るという、昔お世話になった人の、未だ会ったことがない奥さんに対する切ない気持ちであったりする。思い出すだけで「ああ」と嘆息が漏れるような人が何人かいるのだ。

羽の傷ついたチョウは、いったいどの時代のどの局面から、誰が私に遣わしてくれたものなのか。一葉の小さな葉書のようにひらひら舞うチョウは、どれだけの長い旅を経て、私の元に辿り着いたのであろうか。
もう少し目を細め、もう少し「脳力」と呼ばれる第六の感覚を懸命に働かせれば、チョウの背後にぼんやり誰かの姿が見えたのかもしれない。もしかすると、それは私がまだ出会ったことのない人物なのかもしれないけれども……。

このように自意識強く、自己都合的な感覚ばかり垂らしていることに、ある種の人には耐えられない薄気味悪さがあることと思う。
だが、物語るということは、その薄気味悪さを敢えて引き受ける覚悟あってこそのものだと言えよう。物語る主体が、自分の世界を表現しようというとき、そこに他者への遠慮や迎合があれば、形作られようという世界は曇ってしまう。語りとなって表される意識を肯定的に捉えずして、物語が息づくことはない。

幻視・幻想、そして幻覚は、過ぎれば日常生活の継続を阻む危険な代物である。けれども、そうしたものに浸されない人と深く交わることはできないと私は思う。日常のどこかに、日常を振り切るだけの幻想と物語を持つ人に私は共感する。そして、ときにそのような人を愛する。
その人がまだ、私同様、物語るにはまだ早い、未熟な力しか持たない「かけら」のごとき「物語の侍女」であったとしても、そして一生かかっても、かけらがついに物語という壺に形取られることがないにしても、幻想や物語を求めるありようは、喜びや悲しみをそれらに託して表そうという意欲は、青白い光のなかで、ときに自身の光を小さく放つこともあろう。



【No.1021】青白い光(2)…6月1日

先日までオフホワイトだった玄関灯の光は、ナショナルのものでなく東芝のものにしたためなのか、妙に青白い光に変わった。夜、家に戻ってくる人を暖かく迎えるというよりは、さえざえと照らし出し、中に入る前に外の厄をしっかり落としてくれよとばかりに射している。
正直、それは私の気持ちとも重なる。

夜気に心を吸い取らせるような気分で最寄りの駅近くに行くと、真新しい白いポルシェが停まっていた。街灯の光を浴び、その車体も青白い光を放っていた。
どういう人が乗っているのか興味深くは感じたが、場所はコンビニの前である。ポルシェでコンビニに乗りつけるなど、大した人物像を期待できそうにない。
では、どういう人なら、青白くさえざえとした車体に似つかわしいのか。そういう勝手な想像をとりとめなく巡らせるのが楽しい。他愛ない物語の契機ならば、日常のそこかしこ、いくらでも転がっているのだ。
最近の通勤途中、新宿駅のホームで見かけた、良い感じの服装の男性を思い出す。降り立ったホームの向こう側、それもかなり遠い場所に立っていた人なので、顔や細部はよく確認できなかった。だが、全体のバランスがすっきりと印象的だった。白い、たぶんあれはボタンダウンの綿シャツに、ベージュの七分丈パンツを合わせているのである。そういうさりげない服装であっても、遠くから見て、ぱっと目につく人が都市の群衆の中には紛れ込んでいる。
なぜ目につくのか。
ファッションだけの自己主張ではなく、その服装でいることの必然性を身にまとった人物のキャラクターがオーラを発しているからなのだろう。清々しい身なりにふさわしい姿勢や体つき、そういうさりげない服を好む、感性と内面のありようが何となく伝わってくる気がする。
その若い男の人をしばらく見ていたとき、向うの視線もこちらに向けられた気がした。黒っぽい「なり」の人が多いホームで、こちらも白い半袖ポロシャツを着ていたためであろうか。視線が向けられた……、いや、そうであってくれればと願っただけというのが本当のところだったのかもしれない。

彼の靴やカバンまでは見えなかった。白いスニーカーをはいて、メッセンジャーバッグ的なものを、ちょうど良い長さでたすき掛けにしていてくれると良いのではないかと考えた。
最近、若い男の服装をよくチェックしているのだ。中学生になった息子に、これからどういうお洒落をしてほしいのかを検討しているものだから……。
<この項つづく>

【No.1020】青白い光(1)…6月1日

金曜日の夜、夕飯の片付けが終わり、浴槽を洗いお湯を張るようにしたあと、切らしてしまったお米を買いに行こうとした。給食がなくなって、中学生のお弁当作りが始まってから、やはりお米の減りが早いのである。山形の生産者組合から取り寄せている分が、あれよあれよといううちになくなってしまう。

その日は、仕事でとんでもない勘違いをして作業をしてしまったことで、帰宅が予定よりはるかに遅くなった。一度家に帰って自転車で出直し、夕飯前に買い物を済ませるはずのつもりが、そうできなくなったのだ。
それでも、家屋の全面リフォーム後、8年目にして初めて切れてしまった玄関灯の電球だけは買って帰らないと今夜も暗いままで困る。そう思い、それだけは隣駅の家電量販店で手に入れて帰宅したのであった。早く夕飯の支度に取り掛かりたいというところ物置から脚立を出し、1メートルほどの高さによじ登り、誰の助けも借りずに電球を換えた。
電球、それは正確には3波長型のコンパクト蛍光ランプであったのだが、ふっと、ある小説を思い出す。水村美苗の『本格小説』である。

米国在住の水村家に若い男性が訪れる。「良家」に属す水村家とは違う世界に生きる男性である。学歴がなく、渡米してしばらくは「お抱え運転手」をしていたというその男に、水村夫人は子ども部屋の電球を取り替える作業を気軽に頼む。長身だったからということもあろうが、そこには「この人になら、体を使うそのような作業をさせても良い」という微妙なニュアンスがあったという挿話であった。
物語はその後、子ども部屋の主であった美苗、つまり、作家本人の世界(であるかのように書かれている世界)を抜け出し、その男性の立身出世物語へと展開していく。それと共に戦後日本の良家が没落していく様を描き、ひとつの時代、ひとつの社会という全体を描き出していくのである。時代や社会全体を描くから、「本格小説」という小説のジャンルそのものが題名となっている。
巧妙な仕掛けが張り巡らされた、古典の味わいの小説であった。水村氏の新作はそろそろ用意されているのであろうか。

「食事の仕度も掃除、買い物も、そして電球の取り替えも、家事のことごとくは下々がなすべきこと――そのような感覚で今も暮らしを営んでいる人は、限られているだろう。けど、確かにいるには違いない」
ふっと、そのようなことを考える。おそらくそういう身分でいられたにしても、私の場合、多くを自らの力でこなそうとするに違いないだろうが……。
<この項つづく>
プロフィール

中村びわ

Author:中村びわ
2004年から2011年まで書いてきた
「本のシャワーにさらす肌」
http://biwa.blogtribe.org/を、
こちらに引き継ぎます。

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