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【No.1421】名もなき公立学校の教師たちに


朝の連続テレビ小説で話題になっている広岡浅子(見る暇がないのだけれど)しかり、玉川学園の小原国芳や成蹊学園の中村春二など、創立以来、教育理念が一貫している私学畑の教育者というのは、学校が伝統とともに、その教育者の名を残そうと努力するけれど、公立学校の教師というのは、名前が残っていきにくいものなのだろうか。
最近では、公立学校の先生で実績が目立つと、陰山英男先生のように私学に引っ張られてしまう。

公立小学校で41年勤め上げた金沢嘉市という教育者の実践した童話の語りが私の研究対象。
西多摩郡、豊島区、港区などで教鞭を取った教育者で、定年を迎える前は世田谷区の三つの小学校長を歴任した。
最後の勤務地は下北沢の代沢小学校。今年度は、その管内で仕事をしているというのも縁のあることで光栄だ。

戦後いちはやく日本の歴史の授業に取り組んだこと、戦中教師としての反省から民主主義・平和教育にこだわったこと、勤務評定による信賞必罰主義での学校運営に反対したこと、NHKラジオで14年間ニュース解説番組を担当したことなど、伝説に残る教育者は今年、没後30年を迎える。


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テーマ : オススメの本
ジャンル : 本・雑誌

【No.1415】4つの国に誕生した赤ちゃんの1年DVD「ベイビーズ」

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(2013/04/27)
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今週はじめ、科研費を得て新たに始動したという、とある幼児教育研究会の企画で、こちらのフランス映画(2010)「ベイビーズ」のDVD上映会があった。
大学教員、高校教諭、保育士、看護師、大学院生、学部生など、ごく限られた人数だったが、「赤ちゃん」に吸い寄せられた人たちが集まり、いっしょに笑いながら、いっしょに感じ入りながらの79分の鑑賞。

4つの国に誕生した赤ちゃんの「育ち」の様子を1年間撮り続けたドキュメンタリー。
左から(と言っても、このリンク、プレビューと違って大きくアップされないじゃん)
アメリカのハティ
日本のマリ
ナミビアのポニジャオ
モンゴルのバヤルジャルガル

住居の形、服、食事、日中の過ごし方、眠り方、あやされ方、自然環境、機械化、遊びなどが文化によってまるで違う4人の赤ちゃんがおすわりできるようになり、はいはいをして、つかまり立ちに続いてひとりで歩けるようになるまでを生活に入り込んで記録したユニークな作品。

終わってから、皆で感想をシェア。
私は、
(1)どの子も哺乳類なんだな、動物っぽいなと思えたこと。それがみんな同じように大きくなり、みんな立ち上がれて良かったね(でも、ここには描かれていないけど、成長や発達が違う子もいるんだよねとは考えた)。
(2)ナミビアやモンゴルの映像を見ていて、砂だらけになったり泥水を飲んだり、さまざまなものを口に入れても、みんな勝手に育っていくのだと感じたこと。日本のお母さんたちなら、すぐにもやめさせたいと思うようなことに無頓着な文化もある。
などについて触れた。

帰りに顔見知りの高校の先生と話しながら駅へ向かう。
家庭科の時間で、赤ちゃんには触れ合う機会がないという中高生あたりに、いかに保育を教えるかに苦労するかという話を聞いたり、「赤ちゃんの笑顔がたくさん見られて、いやされましたね」などと語り合った。

テーマ : DVDで見た映画
ジャンル : 映画

【No.1411】語りの妙『へんなどうつぶ』




ワンダ・ガアグは、とびっきり愉快な絵本『100まんびきのねこ』で有名で、ボヘミア移民の子としてミネソタ州で誕生したのだ。

石井桃子さんが愛したウィラ・キャザー『マイ・アントニーア』という美しい小説のアントニーアもボヘミア移民で、ネブラスカ州に入植した設定だった。

何で移民の話なのかというと、移民の家庭では、親が子どもに自分たち民族の文化や言語を伝承するため、母国で語りつがれてきたおはなしをとても大切にしていただろうということが言いたい。
ストーリーテリング、そして物語の伝統もいっしょに海を渡ったのである。
むろん入植した先、先住民たちのなかにも同様の伝統はあった。
人がことばを身につけるため、人がことばで愉しみコミュニケーションを図るため、物語は機能していたのだ。

さて、『へんなどうつぶ』を初秋という季節に選んだのは「移民」には関係なく、おいしそうな食べ物がたくさん出てくるからだ。
山奥のトンネル状のうちに住んでいるボボじいさんは、ほらあなの入口に食べ物を並べて、どうぶつたちがごちそうになりに来るのを待っている。
りす用のくるみケーキ
ことり用の種入りプディング
うさぎ用のキャベツ・サラダ
ねずみ用のチーズ・ボール。
食べたくなるだろ、ほれほれ、ほれ。

ところが見たこともないどうぶつがやってきて、自分はどうぶつでなく「どうつぶ」だと主張して、そこに用意された食べ物でなく、好物は子どもたちの人形だと言い出すのだ。
心やさしいボボじいさんは、子どもたちが大事にしている人形を食べられてはかわいそうだと、一計を案ずる。

黒インクだけで描かれた絵に力強いまでの優しさと機知が感じられるのは、一つひとつの線や形にしっかり魂が込められているから。
ことばにも筋にも無駄がないストーリーに吸い込まれてしまうのは、語りつがれてきた物語が支えてきたものへの敬意があふれているから。

テーマ : 絵本
ジャンル : 本・雑誌

【No.1363】退屈でない絵画

セザンヌ
1906年、67歳で亡くなったセザンヌが、1899年頃に描いた「りんごとオレンジ」。

「セザンヌ―パリとプロヴァンス」という展覧会名で分かるように、画家が行き来した二つの場所を意識して構成された企画。乃木坂の国立新美術館にて開催中で、同画家の個展としては過去最大だそう。

この静物画はオルセー美術館から借りてきた目玉作品の一つであり、他にもパリ市立プティ・パレ美術館所蔵の「四季」四部作やら、マティスが長年手元に置いていた「3人の水浴の女たち」やら、晩年に画家の世話をしていた庭師の肖像画やら、母の死後よく描いていた骸骨の絵の一枚など、興味深い作品が、あちらこちらから集められていた。

人気画家の一人なので、観に来ている人は確かに多い。だが、広い空間にゆったりと作品展示がされており、普通なら「休館日?」の月曜日の夕方近くということもあったためなのか(休館は火曜日なのである)、無心に絵の世界に入れる良いひとときが過ごせた。

20代前半、やや長いヨーロッパ旅行を二度ばかりした時、多くの美術館でむさぼるように絵を眺めた。でも、当時はエキセントリックなもの、尖っていて挑発的なものが好きだったこともあって、どの静物画・肖像画を観ても「退屈だ~」と感じていた。

きのうを含め、ここ数年そうなのだけれど、絵画というジャンルに関係なく、自分が味わってきた文学、音楽、演劇、彫刻、工芸品、映像、写真ほか、人びとが生み出してきた偉大なものに触れたとき、そこに結晶化されている制作者の美意識・世界観といったものに、自分が得てきたものの結晶が確かに反応することの喜びを深く感じる。

それを思うと、きちんと反応できず、作品の価値を十分に受け止めることもできず、ただ絵画の前を通り過ぎていた若い頃の愚かな鑑賞も無駄ではなかったのだという気にさせられる。そういう経験もあって、自分の感性が培われてきたわけだ。そして、何も芸術体験だけではなく、多くの自然や人と対峙する中で、苦悩や失望も含め、ありとあらゆる感情を体験してきたことも大きな意味をなしている。

「円熟」とは、人が他者を論じるときに使う表現には違いないが、幸福か不幸かということに関係なく、自分が積み重ねてこられたものに、このような形で「実り」を感じることができるのは意外である。


セザンヌ関係の本は、さすがにいろいろ出されている。
右端は、ゾラの書簡集。セザンヌがパリに出たのは、友人のゾラの誘いがあってのことだったという。

テーマ : 芸術・心・癒し
ジャンル : 学問・文化・芸術

【No.1159】幻想のコレクション…6月9日

図書館も好きだけれども、よくよく考えてみると、棚にある本のすべてが好きというわけではない。抜き出して、玄関前で焚書したいようなものも多くまぎれている。それを考えると、博物館の方が好きなのかもしれない。燃やしたくなるようなものは図書館よりはるかに少ない。
特に、2007年4月、14年をかけた改修を終えてグランドオープンした国立科学博物館――ここにあるものは、害虫の標本1つにしてもロマンを帯びているような気がしてしまう。

とりあえずは、「フーコーの振り子」とともに、ある程度の年の人なら必ず見て帰りたいと思う、忠犬ハチ公の剥製。絵本と並べてみる。

科博は日本館と地球館に分かれていて、日本館の方は昔ながらのレトロモダンな建物を使っている。展示に当たっては、柱や天井などが邪魔になるというデメリットもあったらしいが、建物の保存をしながら、建物を生かした展示を何とかしようという方針で、デザインを練りに練って陳列を完成させたということである。

こういう意匠が至るところに見られて、階段の昇り降りや廊下を歩くだけでも楽しい。美しいステンドグラスも沢山ある。

実は、国立西洋美術館に「ルーブル美術館展」を観に行ったのだ。赤坂の草ミッドタウン公園にほど近い国立新美術館の方で「ルーブル美術館展 美の宮殿の子どもたち」の方は5月に観ることができたのだが、上野は80分待ちであったので、諦めてしまった。
それですかさず、「きょうは石を見に行こう♪」と切り替え、すぐ横の科博へ向かった。
石はいろいろ置いてある。地球館と日本館に分けて、化石、隕石、鉱物などが置いてある。ちょうど今、ゾウの鼻くそ程度(失礼)の大きさの「月の石」展もやっている。

しかし、一番見たかったのは鉱物で、科博が誇るコレクションの1つ櫻井コレクションである。櫻井博士は、家業の料亭「ぼたん」を経営しながら、小学生の頃から好きだった鉱物をずっと集め、遂には日本の鉱物の9割を集め、ほとんど独自に研究に取り組んでいたのである。大きなものを選ぶのではなく、研究対象として意味のある形状のものを選ぶことにこだわったようだ。こちらの出版社・工作舎の日記に、そのコレクションの特徴のことが書いてある。
このコレクションは薄暗い、これ専用の小部屋に並べられている。1つ1つ眺めていると、もうどうしようもないぐらい美しい造化に陶然となってしまい、時を忘れる。こういうものを愛した稲垣足穂や宮澤賢治のことなども思いながら、宇宙的な神秘の力を秘めた石が、語りかけてくるのを受け止める。

石と言えば、最近はアクセサリーの業界で天然石がかなり来ている。
勝間和代さんのムックを少し立ち読みしていたときも、「スーツはブルックス・ブラザーズか。このネックレスは流行りのインカローズであるなあ」と眺めていた。ポジティヴ志向の彼女も、運の良いものの恩恵をしっかり受けながらの活躍のようだ。
天然石アクセサリーは、ブームのお陰で手に入れやすくなって結構なことである。身につけているとやはり、魔除けの効果も感じられるし、幸運を引き寄せている感じも確かにある。カットされた貴石を買っていると大変ということもあるが、むしろお高い宝石になったものより、天然石の方が身につけるには気軽で良く、さらには興味としては原石が面白い。天然石レベルだと、スピリチュアル・パワーをもらうというような、どこか儀式めいた感じもあるが、原石となると、これはもう、儀式のような文化的フィルターも通さない、人間と自然・宇宙の直接対話となる。

思い出せば、昔むかし、旅先のこちらの国立博物館で、充実しているけれども、ほこりをかぶったような標本を、随分長い時間をかけて飽かず眺めた。あの時、するりと素直に鉱物のもたらす幻にとらえられていれば、今は何かもっと別のことをしていたのかもしれない。

きょうは、特に岩手の和賀仙人鉱山から掘り出された「赤鉄鉱」の黒光に魅せられた。

鉱物の他には、「霧箱」という宇宙線の観察できる装置が素晴らしかった。
ボランティア・ガイドの感じ良い女性が、「きょうはよく見えます」と教えてくれた。その運も身につけたアクセサリーのお陰かと思ったが、身につけていたのは、ターコイズ色ではあるが七宝のネックレスであった。
霧箱は、何もかもが崩落していくようなイメージ、砂山が崩れ落ちていくようなイメージが、どこか幻視者スティーヴ・エリクソンの小説を思わせるのであった。この箱のなかで起きる現象も、どうしようもないぐらい美しい。ただ、こちらは鉱物と違って、美しいが物哀しい。
プロフィール

中村びわ

Author:中村びわ
2004年から2011年まで書いてきた
「本のシャワーにさらす肌」
http://biwa.blogtribe.org/を、
こちらに引き継ぎます。

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